2009年

やっと分かった!前方後円墳


妹の家の近くに、古墳公園があります。
その公園にある古墳の説明を読んで、
前方後円墳とはどういう意味か?
この歳になって、やっと分かりました~。
古墳の形には、
『方墳』(四角形)と『円墳』(円形)があるそうです。
日本でメジャーな前方後円墳は、方墳と円墳が組み合わさったもの。
説明では、方墳で儀式を執り行い、円墳がお墓だったとのこと。
前方後円墳の写真では、上方が丸い円、下方が四角と、
鍵穴のように撮影されているものが多いので、
“前が円で、後ろが四角”というふうに見るものだと、てっきり思い込んでいました。
しかし、『前方後円墳』ですから、“前が四角、後ろが円”となります。
ここまで書いて気がついたのですが、
“上が前、下が後ろ”というのは私の思い込みではなかろうか??
世の人は、写真を見て、
“下が前、上が後ろ”と自然に受け取っているのではなかろうか??
新たな疑問が生まれました・・・。
いっそのこと、縦長の写真でなく、横長でお願いしたい・・・。
前方後円墳は、前方後円墳としか学校で教えてもらっていないと思っていましたが、
当時説明してもらったにもかかわらず、覚えていないだけのような気もします。
とにかく、前方後円墳とは、“前が四角、後ろが円”という意味だと、
やっと分かって、スッキリしました。
喉に刺さった魚の小骨が取れたような・・・
こういう表現をすると、私の喉は小骨だらけやん!となりますが。
大昔の前方後円墳。
意味が分かったことで、時間を越えて、少し身近に感じています。


母校でコーチング


先日、母校の中学校を訪れました。
『先輩の話を聞く会』で中学3年生にお話させていただくことに。
当初は10分ほど話す予定でしたが、
学校側の計らいで50分いただき、コーチングを交えながら、
将来に希望を持ってもらえるよう、私なりに話しました。
どこの中学でもなく、自分の卒業した中学校で後輩の子どもたちに、
コーチングができるなんて、こんな幸せなことはありません。
自分が中学生の時、想像すらしたこともありませんでした。
当時の私は、コーチングを仕事にするなんて思ってもみませんでした。
というより、当時はこんな仕事はなかったわけですから。
こんな有難い機会に恵まれ、ほんとうに嬉しく思っています。
いろいろ考えた末、学校の先生だったらしないであろう内容に
思い切ってチャレンジしました。
コーチングの考え方をベースに置いて、
オリジナルのイメージワークを行いました。
私のヴィジョンでもあるテーマが、イメージワークという形で創出されるとは、
思ってもいなかったのですが、自然に溢れ出てきたのです。
子どもたちも50分という短い時間の中で、それぞれに表現してくれました。
子どもたちの秘めた才能のたね(さいだね)にワクワクしました。
子どもたちの未来の可能性にそっと触れた感触が今も残っています。
私の目に映る子供たちは、
さいだね(才能の種)で満ち溢れ、希望の光のごとく輝いていました。
後輩のみんな、すてきな時間をありがとう!
そして、もうひとつ嬉しかったのは、
他校で教師をしている友人(同じ中学校の同級生)も見学に来てくれたことです。
彼女に見守られながら、
母校の子どもたちと豊かで楽しい時間を過ごすことができるなんて、
とことん私は幸せものです。


また5年後に会いましょう


先日、久しぶりに母校を訪れました。
所属していた京都女子大学合気道部の創部45周年記念演武会。
5年毎に行われる演武会は、同窓会でもあります。
今回は、インフルエンザで来れない同期や体調を崩した同期もいて、
私ともう一人の同期との二人で参加しました。
会場には、ひとつ下の後輩二人と二つ上の先輩三人も来ていて、
20年経っても変わらないねー、と懐かしい再会でした。
演武する後輩たちの姿は、真摯で清々しいものでした。
当時の私たちもきっとそうだったのだろうと思います・・・思いたい、です。
人の世代は変わっていっても、
この部に脈々と流れるものは変わっていないようです。
創部当初から変わっていないのかもしれません。
練習はしんどかった、いつも文句ばかり言ってた、
けれど、楽しかった、充実していた、胸を張って言えます。
そう言えるって、なかなか幸せです。
私よりももっともっと先輩方も参加されていて、歴史を感じました。
45年も続く合気道部の一員だったことに改めて感謝です。
「また5年後に!」
笑顔でそれぞれの人生に戻っていきました。


秋晴れの海


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先日、実家の近くを母と愛犬ルルと一緒に散歩。
この日はさわやかな秋晴れ。
気持ちよく歩きました。
ヨットで海を走るのも気持ち良さそうです。
眺めているだけでも気持ちいいものです。
穏やかな景色に、気持ちも穏やかになります。


世界は分けてもわからない


分子生物学者の福岡伸一氏の著書を続けて2冊読みました。
世界は分けてもわからない (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
著書が話題になっていることもあるのか、
最近テレビや雑誌での福岡氏の露出度が高いような気がします。
福岡氏の考え方は、
コーチングの捉え方の新しい視点を私に投げかけてくれました。
世界は分けてもわからないから一部抜粋します。

“生命現象に「部分」と呼べるものはほんとうは存在しない。
ある部分(パーツ)がある機能を担っているとする考え方は、
鳥瞰的な視点からの、マップラバーによる見立てにすぎない。”

“世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。”

「心臓はこんな機能を担っていますよ」
人体全体を鳥瞰する地図を目の前にして、心臓だけを取り出して
単に“見立て”ているだけです。
心臓だけが生命現象を担っているのではない。
だから、人体に「部分」は存在しない。
人体全体で生命としてはじめて活動できる、ということでしょう。
また、私たちは他の生物のいのちを頂いて生きています。
人間を他の生物の生命現象と分けることもできない、ということでしょう。
しかし、分けないことにはわからない、のです。
ミセス10月号の対談コーナーで、福岡氏は、
「でも、それを繰り返すことが世界を認識することだ、ということがわかったわけです」
とおっしゃていました。
コーチングも同じです。
「傾聴する」「承認する」「質問する」・・・など、
部分に分けて、「傾聴するはこういうスキルですよ」と取り出して説明します。
コーチングも分けないことにはわからない。
しかし、分けてもわからない。
でも、それを繰り返すことがコーチングを認識することだ、ということがわかったわけです!
私の中では、かなりスッキリしました。


今年も正倉院展へ


昨年に引き続き、今年も正倉院展に行ってきました!
今年は、去年とは別ルートで招待券をいただきました♪
私の美術館好きも知れ渡ってきた証拠!? な訳ありません~。
今年は、『御即位二十年記念 第61回 正倉院展』
正倉院ゆかりの皇室のパネル展示もあり、例年より3日長い会期です。
メインの展示にはもちろん興味がありますが、私のいちばんの楽しみは、別にあるのです♪
展示の終盤に、
当時の人々の生活が感じられる品々が展示されています。
“ 正倉院古文書正集 第12集 ”は、徴税の基本台帳などです。
家族構成が細かく記載されています。
どんなふうに細かいかというと、
「右腕に黒子(ほくろ)」
「左頬に黒子」
身体的特徴まで記載されているのです。
名前は無くても身体で識別されるなんて、厳しい管理です。
“ 続々修正倉院古文書正集 第46帙 第6巻 ”は、写経生の報酬等に関する規則ほか。
今のように印刷技術のなかった時代、印刷の代わりが写経です。
一行脱落すると~~、
一文字抜けると~~、
誤字は~~、
給料から引かれるシステムです。
間違いの大小によって、事細かに決められています。
写経する人を監督する人は、もっと重いペナルティが課せられるのです。
キビシィ~~。
現代の会社員のほうが、よっぽどマシではないでしょうか?
失敗したから給料減額!私は聞いたことないでのすが。。。
昔の人の考え方や働き方を垣間見ることができる正倉院展。
私は大好きです。
昨年は『休暇届け』でした。ご参考までに ↓
http://www.a-relation.com/diary/2008/11/60.html


講演にて


先日、ある企業のイベントで講演をさせていただきました。
テーマは、
高齢者や障がい者にかかわる家族やケアサービス従事者のための
『より良いコミュニケーションをとるためのポイント』
“ コミュニケーションはテクニックではなく、自分自身のあり方の表れ ”
私はいつも大切にしています。
今回は私自身の体験を話すことで、
聴いてくださる人それぞれのあり方にアクセスしていただけるよう、
思いを込めてお話させていただきました。
思いは込めても、熱すぎず温すぎず、押し付けず、がモットーです。
皆さん熱心に聴いてくださって、感謝の気持ちがこみ上げてきました。
私はなんて幸せなんだろう、と。
“ あり方 ”とは“ 感じる ”こと。
講演にて体感しました。


暴風雨の沖縄へ!


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日曜・月曜と沖縄に出張。
台風の影響で暴風域の
沖縄に、です。
まさか自ら台風に近づいて行くことになるとは・・・。
画像は大阪発の飛行機から撮影。
上空の風景は、
ふだん地上から見上げる風景とは逆転しています。

今回撮影したのは、この1枚のみ。
これを撮影した時は、おまけのつもりでした。
まさかこれが最初で最後の1枚になろうとは露知らず。
沖縄は大荒れのお天気でした。
駅からホテルまでのたった2分で全身びしょぬれです。
沖縄の人が傘を差さずに歩く理由がよく分かりました。
今回、青い海の開放感あふれる沖縄は体験できませんでしたが、
翌日仕事先に向かう1時間弱のタクシーの運転手さんとの会話に、
沖縄らしさを体感しました。
奥さんのお母さん・88歳のおばぁの戦後人生体験の話。
ユタやノロの話。
台風の話。
沖縄の人の体感温度の話。
偶然1日3回同じお客さんを乗せた話。
ひとつひとつのエピソードをここで紹介したいぐらい
興味深くて面白いお話を聞かせてくれました。
話上手な運転手さんは、大変な話もユーモアたっぷりに
楽しく話してくれて、あっという間に到着。
リフレッシュして仕事に向かえたのは言うまでもありません。
タクシーの運転手さんは、人を安全に運ぶだけでなく、
私の気持ちも開放してくれました。
ここにもコーチがいましたね~。
台風の影響と過密スケジュールではありましたが、
ソフトな時間も過ごせました。
今度はプライベートでゆっくり行きたいものです。


創作ダンス ~竹久夢二の宵待草~


昨晩のNHK 『 SONGS 』は美輪明宏特集でした。
日本の唱歌 “ おぼろ月夜 ”と“ 白月 ”を歌う姿を見ながら、
私の意識は高校時代へと~。
体育の授業の中に、創作ダンスがありました。
竹久夢二の“宵待草”という大正時代の曲に合わせて、
恋しい人を待つ・・・を表現するという何とも高度な授業がよみがえってきました。
創作ダンスの先生は、定年まであと数年だったと思います。
私たち生徒とは、かなり年齢が離れていました。両親よりもだいぶん年上の人です。
恋しい人を待つ気持ちが伝わってこない!表れていない!
先生に叱られながら、こうかな?どうかな?と体をクネクネさせたのを
思い出します。
当時は、こんな古臭い、辛気臭い曲でダンスなんて~!
先生は私たちのこと分かってないなぁ、なんて偉そうに思っていました。
体をクネクネとくねらせていた私のほうが分かってなかったのは一目瞭然。。。
今振り返ると、当時の先生の気持ちも少し分かるような気がします。
先生が見本で踊ってくれた“宵待草”は、先生の人生を映し出した
先生しか踊れない“宵待草”だったような気がしてなりません。
当時はものすごいインパクトで、引いてしまいましたが、
ほとばしる情熱と物思いに耽る静けさを表現していたのだと今は分かります。
数十年経った今、
私にも私にしか踊れない“宵待草”が表現できるのかもしれません。

話はSONGSに戻って・・・
美輪明宏の“老女優は去りゆく”は圧巻でした。


台風上陸と晩ごはん事情


昨日は研修の仕事で、帰りが少し遅くなりました。
最寄り駅に着いたのは、20:30頃。
いつものスーパーで、いつものように食料品を買うつもりで入ると、
いつもと様子が違います。
買おうと思っていた食パン、お惣菜やお弁当の陳列台はスッカラカンでした。
いつもと違って、台風が接近中でした。
電車の運休も見越して、早い目に帰宅する人が多かったのでしょう。
それにしても、理由はそれだけとは思えないほど、空っぽの棚が多すぎます。
非常時に備えて、いつもよりたくさん買い物する人も多かったのでしょうか。
買い物客の男性に、
「この近くでコンビニ、知りませんか? 弁当売り切れてる・・・」
切実な感じで訊ねられました。
知っている限りのコンビニを教えてあげた私。
料理をしない人にとって、
お惣菜もお弁当も売り切れているとなると、けっこう辛いと思います。
いつもだったら、まだ売り切れていない時間帯です。
台風上陸は、
いつも食品が豊富に溢れいるスーパーさえ一変する出来事でした。
台風だというのに、
いつもどおり、のほほんとした内容になってしまいました。


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