2025年
「やりたい」と「している」
先延ばしにしない。
特に「やりたいこと」を先延ばしにしないこと。
今年は忙しくて無理そう。来年にしよう。
(その来年も今年になって、また先延ばし…)
定年退職したら、必ずやろう。
(まだまだ先のこと…)
また、本当にやりたいことには、気づかないふりをしてフタをします。
気づいても、大きめの重要なやりたいことは
「今」じゃなくでもいいかと先延ばしする心が働きます。
やりたいことに向き合わないでおこうとします。
それに、「やりたい」と「している」は大きく違います。
やりたいことを想像するだけに時間を使っていませんか?
「やりたい」を想像することに時間を費やすよりも
実際に「している」時間のほうが重要だと誰もが気づくでしょう。
先延ばしというのは、時間の使い方です。
もっと言えば、人生の使い方でもあります。
私たちの時間は有限です。限られています。
しかも、いつまであるのかも分かりません。
さあ、新しいスタートの春です。
あなたの大事な「やりたい」を「している」に!
応援しています!
人に優しいとき
日頃、思うことのひとつに
「人に優しくないときは、自分にも優しくない」
というのがあります。
人に優しいとき、同時に自分に怒っているという状態はあり得ません。
たとえば、人に優しい笑顔で接するとき、
心の中では怒り爆発!なんてことはありませんよね。
ということは
「人に優しいとき、自分にも優しくしている」のです。
他者に届ける優しさは、自分自身にも優しく幸せを運んでくれます。
泰然自若
実家は山の斜面にあり、目の前には海が広がっています。
海は常に表情が変わります。
穏やかな海、明るい海、爽やかな海、さざ波の優しい海、
波の高い海、暗い海、どんより曇った海、荒れた海…
日によって、時間によって、その表情は変わります。
とどまることなく変化します。
表面の表情は刻一刻と変わり続けます。
表情はどんどん変わる海。
そんな海に、子どもの頃から安心感も持っていました。
いつもそこにあるという安心感。
この安心感に名前を付けるならば…「泰然自若」です。
落ち着いていてどんなことにも動じないさま。
そういう海を日常に育ちました。
今、人とかかわる仕事を通して
人は海と同じなんだと感じます。
人は、喜んだり笑ったり、怒ったり悲しんだり、
優しかったり傷つけたり、素直だったりひねくれたり…
その時々でさまざまに表情が変わります。
やはり、人も海と同じ「自然」なのだと思います。
海と同じように、人の表面の表情は変わっても
その変化し続ける表情とともに、動じない泰然自若とした何かがあります。
私はそのことにいつも安心します。
感覚的な表現なので、よく分からないという方もおられると思います。
よく分からないよ~と困った表情のあなたにも私は安心しています。
(もっと分からなくせちゃいましたか??)
今回は、特に感覚で読んでいただければ幸いです。
下へ下へと根を降ろせ
冬のあいだは、この言葉を思い出して気持ちを整えるようにしています。
『何も咲かない冬の日は 下へ下へと根を降ろせ』
根を伸ばす時期。
根をしっかり張るとき。
かかる時間やタイミングは人それぞれだと思います。
しかし、そういう時間や時期は誰にでもあるのではないでしょうか。
上によく伸びるためには、下の土台の状態が重要です。
土台を強固にするために、私たちには冬の日が与えられ、
下へ下へと根を降ろす時間が与えられている。
こう捉えると、(人生の)冬の日を大事に過ごそうと思えます。
『何も咲かない冬の日は 下へ下へと根を降ろせ』
この言葉にはこう続きます。
『やがて大きな花が咲く』
もうすぐ春ですね!
プラスα便り100号
月1回程度、プラスα便りをメール配信しています。
2025年最初のプラスα便りは、ちょうど100号目となります。
100号というあまり実感はないのですが
日付や号数、タイトルの一覧を見てみると、確かに今回が100号目です。
ここまで続けることができたのは
読んでくださる皆さんの存在が大きかったのは言うまでもありません。
本当にありがとうございます。
誰かの何かがほんの少しでも良くなる…
・リラックスする、穏やかな気持ちになる
・そういう見方や捉え方もありかもと思える
・これは活かせそうと前向きになる
など、少しだけ何かが変わる・動くきっかけになれば
という思いを持ってお送りしてきました。
これからも皆さんの素敵な笑顔を思い描いて
日常にプラスαの視点をお届けしたいと思っています。
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見えるもの・見えないもの
世の中をよく見ていると
見えるものよりも、見えないもののほうが多いと気づきます。
人の姿かたちは見えても、その人の気持ちや考え、無数の経験などは見えません。
紛争の映像を目にしても、そこで暮らす人々の本当の日常は見えません。
圧倒的に見えないもののほうが多いのです。
見えないもの。
そういうところに、大事なものがあるのだと思います。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』にもこうあります。
‟ 大切なことはいつだって目に見えないものさ ”
長年人の話を聴き続け、人とかかわり続けてきて
分かったことがあるとすれば、それは
実際のところ「人のことは分からない」ということです。
人のことは分からないと言い切ってしまうと
投げやりに聞こえるかもしれませんが、そういうことではありません。
人のことは分からない。
だから、その人のことを何でも分かっていると思わないこと。
もっと言うと「分かったつもりになってはいけない」ということです。
分かっていると思った途端、その人のことが見えなくなります。
分かったつもりになっていると、その人の中にある大事なものから遠ざかってしまいます。
目に見える人や物、出来事から、見えないものをどう見ようとしていくか。
それが、人に与えられている能力なのだと思います。
それに、宇宙の96%は見えなくて、見えているのはわずか4%だそうです。
宇宙は分からないことばかりです。
そんな宇宙で生きているんだと認めてしまうと
よい塩梅に心身がほぐれて、世の中を見渡せるのではないでしょうか?
見えるものよりも、見えないもののほうが多い。
見えないものの中にこそ、大事なものがある。
見えているものだけにとらわれないための考え方を
ひとつ持っておく1年にしませんか?