2026年

自然界には直線は存在しない


サグラダ・ファミリアの建築家アントニオ・ガウディはこう言っています。

『自然界には直線は存在しない』
『直線は人間に属し、曲線は神に属する』

世の中には、どんどん直線が増えているように感じます。

直線は、便利さや機能性を追求する私たち人間に属します。
効率の良さを追い求めると、どうしても直線コースになります。

整備されたまっすぐな道路。
進学・就職・結婚などライフイベントもまっすぐな線の上に。
欲しい情報を一瞬で得ることができる、ピッとするだけで物が買えるシステム。

私たちも自然界に存在する生き物として、直線ではないはずですが、
日常に溢れる直線に従って行動しているように感じます。

だから、閉塞感や息苦しさを感じることがあるのかもしれません。

人はまっすぐな道から外れることを恐れますが、
私たちはそもそも直線ではない自然物です。

なので、つまずいて転んで道から外れます。脱線します。
迷って悩んで紆余曲折があります。

その脱線が、その曲線が、大事なこともあるのではないでしょうか。

遠回りして、本当に行きたいところに辿り着けることもあるのではないでしょうか。

なんだかんだ言っても、私たちは直線を好む曲線です。
まっすぐを求めるまっすぐではない生き物です。

「そのまんまで良し」としましょうか。


良い靴は良い場所へ


この春はもっと動こう! スポーツシューズを購入しました。
新しい靴を目にするだけでも気分がよくなります。

こんな言葉を聞いたことはありませんか?

『良い靴は良い場所に連れて行ってくれる』

靴が勝手に良い場所に連れて行ってくれるというよりも
靴を履いて自ら動くことによって良い場所に辿り着ける。

行動範囲が広がって出会う人が変わると、そこが良い場所となる。

私にとって、このようなイメージの言葉です。

ただ待っているより、行動することで
良いことが起きやすくなるのだと思います。

当たり前のことですが、
良い靴を履いたとしても動かなければ、どんな場所にも行けません。

自分の足で動いて、新しい世界を体験しに行きませんか。
その世界が良い場所になるといいですね!


世界をつくっているのは


以前は、猫が嫌いでした。(今は好きです!)

子どもの頃、友だちの家のこたつに足を入れた瞬間、
中にいた猫に、狂ったように引っかかれたのがきっかけです。

それからは、どの猫も敵に見えました。
意地悪そう、わがままそう、気分屋に見える。

猫を好きになれる要素がまったくありませんでした。
「ああ、やっぱり、猫は苦手。嫌いだな」
__________
あるとき、ふと思いました。

猫も、人も、同じだと。

「あの人、苦手だな」

何かきっかけがあって、
あの人が嫌いになります。苦手になります。

そして「ああ、やっぱり、あの人、苦手だな」
という出来事が起きます。
というか、‟苦手・嫌い” を強化する出来事しか起きません 笑

「やっぱり」

この言葉が出てくるのが曲者です。
起きる前に、すでにそうなることを予測している言葉です。

苦手な猫も、嫌いな猫も、苦手な人も、嫌いな人も、
私がつくりだしている。

このことが腑に落ちてから、
苦手や嫌いがだんだん溶けていきました。

苦手も嫌いも、自分自身がつくりだしているだけですから。

私たち一人ひとりは同じ世界を見て、
同じ世界を生きているのではないのです。

それぞれに見たい世界を見て、その世界を生きています。

自分の世界は、自分がつくりあげている。

世界は広いのです。
視野を広げましょう。

視野の広さは『希望』に。
視野の狭さは『絶望』に。

見る世界は自分で選べる、と知っておくだけでも違いますよ。


希望


近所の小学校の廊下に、クラス全員の書き初めが
掲示されているのが道路から見えます。

お題は『希望』

目に飛び込んで来るたくさんの子どもたちの『希望』に触れて、
私にも希望が満ちてくる感覚を味わいました。

良い1年になりそうです。

ここで考えたのは
「良い1年になりそうです」の「なりそう」
これは『希望』ではなく『期待』では?

『希望』と『期待』の違いは何だろう?

希望は、これをやろう!と自ら行動する。
期待は、こうなったらいいな〜と文字どおり待ち受ける。

「能動」と「受動」。

おおまかな私のとらえ方です。

それでは、仕切り直して、「良い1年にするぞ!」

目標に向かって、希望の能動的な1年に。


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