選択の余地
先日、上海に行ってきました。
Jさんという素敵な女性のお宅にお邪魔しました。
1階のエントランス・ロビーには、コンシェルジュのいる高級マンションです。
お部屋はとても広くて、センス抜群です。
私の知人でこんなふうに暮らしている人を見たことがありません。
あるご縁から、Jさんを訪ねて、今回上海行きが決定しました。
ある夜、Jさん宅でディナーをいただきました。
上海に住んで4年になるYさんと、日本から一緒に行ったMさんと4人で
楽しい時間を過ごしました。
中国の時事や経済、文化、上海に暮らす日本人のことなど、
ナマの話に興味津々のひとときでした。
何の話からの展開か忘れましたが、Jさんがこうおしゃいました。
「できるかできないかじゃないの。本当にやりたいの?」
・・・・・・・・・・・
「できるか?できないか?」
私たちは、行動の前に必ずといっていいほど自問します。
「できて、やりたいこと」
本当にやりたいことなのでしょうか?
ワクワクしますか?
なんだか矛盾しているような気がします。
「できないけれど、やりたいこと」
これもしっくりしない。
楽しくない。
「これがやりたい!」
できるかできないかは登場しません。
自然と力が湧いてきます。
自然にやりたいと感じる。
“自然に湧き上がる力” これがあるかないかです。
私たちは幸か不幸か、「できるか、できないか」という選択の余地を持っています。
上海では、「できるかできないか」なんて選択している暇もなく、
事が進んで行っているように感じました。
そんなスピード感の中で生きる中国の人々のパワーに、日本人は圧倒されます。
「できるかできないか」という選択の余地は、贅沢品なのかもしれません。
贅沢品は人をひ弱にする、とも言えます。