上海のホテルで  相手の喜びは自分の喜び


上海では、同じホテルに連泊しました。
ホテルのレストランでブッフェスタイルの朝食をいただきました。
“サービス”というものが浸透していない国です。
朝食のサービスのスタッフには、あまり笑顔が見られません。
若い女性スタッフが、コーヒーを注ぎにきてくれます。
「謝謝」や、日本語で「ありがとう」とスタッフに言います。
顔がこわばったままで、反応なし。。。
お皿を下げてくれる時も、「ありがとう」や何かしら日本語で話しかけてみました。
(中国語はしゃべれないので・・・)
毎朝、その女性スタッフはいました。
何かしてくれるたびに「ありがとう」や「カップはこう置くもんやでー」など、こちらは笑顔で
話しかけます。彼女は日本語がわらないから注意されているとは思っていません。
私たちも注意するというより、何かしら声を掛けるというぐらいの感覚です。
毎朝、顔を合わせ、(一方的な)会話が積み重なるにつれ、
彼女の表情が、だんだんと和らいできました。
いつも私たちのことを見てくれています。視線を感じるのです。
毎朝、コーヒーを何杯飲んだことやら。
コーヒーが少なくなってくると、彼女がいつも注いでくれます。
そのたびに、私たちは、笑顔で「ありがとう」を言います。
私たちが喜ぶので、何回でもコーヒーを持ってやって来ます。
彼女の内には、こんな気持ちが芽生えてきたのでしょう。
自分のする行為で、相手が喜んでくれる。
相手の喜ぶ姿を見て、自分もうれしくなる。
とても自然な心の動きです。
心のあり方は、万国共通。
中国では、何かをしてもらった時、お礼を言う、という習慣があまりないみたいです。
中国人のお客は、コーヒーを注いでもらっても何も言いません。
習慣にないからといって、サービスの喜びや感謝の気持ちがないのではないでしょう。
ただ知らないだけ。
自分の行為で、相手が喜んでくれる。
もう一歩踏み込んで捉えてみると、自分の存在が認められている、ということです。
自分自身の存在確認につながり、自己肯定感が増します。
最終日の朝も彼女はいました。
私たちの右隣のテーブルにコーヒーを。
そして私たちのテーブルを素通りして、左隣のテーブルにもコーヒーを。
あれっ?私たちには入れてくれないの?おかしいなぁ??
しばらくして、彼女がやって来ました。
淹れ立てのコーヒーを、コーヒーサーバー一杯に入れて!
そして、はにかみながらもちょっぴり笑顔で、私たちにコーヒーをいれてくれます。
「ありがとうね」 
相手に好意的に話しかける。
毎朝、ありがとう、と言い続ける。
毎日、声をかける。
すると、相手の行動が変わる。
「どうしたらもっと喜んでもらえるか」
彼女がそこまで考えての行動かどうかはわかりません。
無意識にしろ、彼女の中に、サービスという気持ちが生まれ、
行動した瞬間に立ち会うことができました。
私にとっても、うれしい体験でした。
よりよいサービスは、お客さまとともに育つ。
ああ、それがサービスなんだ。
彼女に大切なことを教えてもらいました。
淹れ立てのコーヒーを入れてくれるのはうれしいのだけれど、
溢れそうなほどコーヒーサーバーを一杯にしていたので、
カップに注ぐ前に、テーブルにこぼれるわ、こぼれるわ~。
「こぼれてるで!」と言うと、今度は、床にこぼしながら注ぎます。
こぼす場所変えただけかい!
こぼすという行動が変わったことは変わったけれど・・・。
先輩スタッフに、注意されていました。ホッとしました。
彼女のサービスは始まったばかりです。
彼女の可能性に終わりはありません。
誰にでも通じることです。

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