地面の底がぬけたんです


地面の底がぬけたんです~ある女性の知恵の73年史~ 』  
ハンセン病患者の藤本としさんの著書を読みました。
この本を読むきっかけになったのは、
もういいかい ~ハンセン病と3つの法律 』 というドキュメンタリー映画です。
著者の藤本としさんは、麻痺や、手の指も失い手のひらのみ、失明しています。
過酷な人生でありながら、
藤本としさんの文章からは、過酷さよりも、精神の自由、心の豊かさが伝わってきます。
私の心の辞書には載っていない、情感豊かな言葉の持ち主です。
過酷な体験こそが、
読む者の心を清めるような美しく瑞々しい言葉の数々を生み出したようにも感じます。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧 新版 』でも書かれているように、
人としてのあらゆる自由を奪われても、誰一人として、精神の自由までをも奪うことはできない。
このことの意味を、藤本としさんからも教えていただきました。
『地面の底がぬけたんです』 の中で、特に心に沁みた “ ピンセット ” をご紹介します。
発想の、想像の、素晴らしさを味わってください。
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ピンセット
 私はたいへん調法なピンセットをもっています。
このピンセットはどんなに小さいものでも、またどれほど大きなものでもちゃんと鋏み取ってきて、
これは困ったというものはありません。
この利器がいつから私のものになったのか、いつごろから使い始めたものか、
とんと覚えはありませんが、ともかく最初は鈍感でなかなか働こうとしなかったことは確かです。
 
 それがこんなに使いやすくなったのは、全く習うより馴れろで、
私の心が自然に操作のこつを覚えこんだのかもしれません。
それともいつの間にか、先輩たちの知恵をまなび取ったものでしょうか。
明と闇とのさかいで、逆境から教えられたものでしょうか。
 ともあれ、私がこのピンセットを使って、毎日鵜の目鷹の目で、
芥のなかから拾い出しているもの、それは喜びなのです。安らぎなのです。
しあわせなのです。微笑のきっかけとなるものなのです。
私はこれらを重ねて、その日その日の太陽を作ろうとしているのです。
今日のピンセットは、このようなものを集めました。
 久しくベッドで苦吟していた友の、元気になった声を浴場で拾い、咲き初めた梅をたずねて、
かぐわしい匂いの中からいのちの美を摘み、老人の愚痴をその身になってきいてあげて、
おおきに・・・・・・この言葉を貰い、拭き掃除して叱られたが、
その言葉のうらから労りの砂金を取り、仏へ捧げた筈の合掌から、心へ大きな支柱をいただき、
二通も届いた手紙からは、それぞれに湧き出る愛念の泉を汲みました。
 しかし未熟の私は、まだ殆どの珠玉を見落としているのに違いありません。これからです。
これから私の腕が冴えれば冴えるほど、ピンセットは飛鳥の速さで何かを摑んでまいりましょう。
私は生涯このことに専念するつもりです。
芥即太陽、このことがしんから自分の感じとなる日まで。
(昭和三七年)
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