2007年4月
ゴミ置き場の花束
通りがかりのゴミ置き場。
大きな花束が花束のまま、捨てられていました。
誰が、どんな事情で、捨てたのか・・・そこにはドラマがあるかもしれません。
でも、その光景を目にした私の胸は痛みました。
花は切られて、花束になっても、生きています。
その美しさに感動したり、優しい気持ちになったり、嬉しくなったり、
悲しい気持ちを慰めてくれます。
私たちに、花は喜びを与えても、痛みを与える行為はしません。
私たちに、痛みを与えるのは、人の心なさが加わった時。
心の花 桜
近くの川沿いの遊歩道の桜並木に、
今、満開を迎えている桜の木がありました。
他にも春の草花が咲いているのに、
桜だけはどうしても撮りたくなります。
日本人の心の花、
それが桜なのかも。
この春は、桜を題材に
日記を幾つか書きました。
これで書き納めになりそうです。
豊かな時間をつくる
今年に入って、読んだ本は約20冊。
今年はなかなか快調です。
それに、読んだ後、充実した気持ちになる本ばかりです。
誰かが話していたのか、何かで読んだのか、
こんな言葉を思い出しました。
「読んだ本の中で、1割ぐらいしか役に立つことが書かれていない」
その時は、なるほど~と共感しました。
どうして共感したのか?
当時の私は、ビジネス書やハウツー本ばかり読んでいたからです。
“答え”が載っていないか一生懸命探していました。
答えを求めて、ビジネス書やハウツー本を読んでいた私には、
上記の言葉がピッタリ当てはまりました。
自分のほしい答えがどこかに書かれているのではないかと探していた時は、
「9割の時間を無駄に費やしてしまった」というなんとも寂しい考え方をしていました。
ビジネス書やハウツー本に、ヒント以上のものを求める読み方をすることで、
時間さえも無機質なもののように扱っている自分がいました。
コーチングの基本にある考え方
~答えは自分の中にある。
(その人の答えは、その人の中にある)
自分の答えは自分の中にしかない、と骨身にしみている今は、
自分が読んでみようと選んだ本なら、どんな本を読んでも、
豊かな時間を過ごすことができます。
答え探しのために、読書するのではないから。
未来の豊かな時間を創り出していくために、
これからもいろんな本との出会いがあるのだと思うとワクワクします!
あの人に会いたい
お気づきの方も多いと思います。
何を隠そう私はテレビ好きです。
いちばんの理由は、
こちらから会いに行かなくても、
いろんな人のいろんな考え方に触れられるからです。
人の言動は、自分とは違います。
その違いは何だろう? 違いから学ぶ。
私にとっては、楽しいことなのです。
私の学びの宝庫と言っても過言でない番組があります。
NHK映像ファイル 『あの人に会いたい』 です。
伝記に登場する偉人というイメージしか持っていなかった湯川秀樹をはじめ、
生前の貴重な映像から、その人となりを知ることができます。
たった10分間の番組ですが、なんとなくダラダラと見る2時間番組より、圧倒的に濃い内容です。
大人だけでなく、中高生にもぜひ見てもらいたい番組です。
これからの人生に、ヒントを与えてくれる人物や言葉と出会える10分間になるかもしれません。
NHKアーカイブス 映像ファイル 『あの人に会いたい』
http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/index.html
“これまでの放送”にざっと目を通すだけでも価値があると思います!
サン・ジャックへの道
久しぶりのフランス映画です。
『サン・ジャックへの道』 という映画を観ました。
http://www.saintjacques.jp/
仲の悪い3兄弟が母の遺産を相続することに。
その条件として、
スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、3人一緒に巡礼の旅をすること。
この3兄弟を含め、9人が旅を共にします。
9人の9本の道が、サンティアゴへ通じる1本の巡礼路を舞台に交錯するように描かれています。
美しい風景の中、それぞれが自分の足で一歩一歩進んで行きます。
そこで、ふと思ったのが、
物理的には、歩いて進んでいるけれど、
精神的には、“立ち止まる”ということなのでは?
精神的に立ち止まることで、みなそれぞれの自分を見出しているように感じました。
心のひだをきれいにしてくれるような映画でした。
日本にも聖地はあります。熊野です。
サンティアゴへの巡礼路と熊野古道。
この2つの“道”のみが世界遺産に登録されてる道です。
この映画を観終わると、熊野古道を歩いてみたくなりますよ~。
+++++
映画館には、『サン・ジャックへの道』のパンフレット以外にも、
サンティアゴの巡礼関連の書籍が販売されていました。
その中に、『星の巡礼』 パウロ・コエーリョ著 もありました。
パウロ・コエーリョは好きな作家の一人なので、うれしくなりました。
『アルケミスト 夢を旅した少年 』
『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』
私のおすすめです。
ちなみに、さんまのまんまで俳優の山本未来がゲストの時、
彼のさんまへの手土産が 『アルケミスト』 でした。
相手の受け取ったことが、自分の伝えたこと
仕事が溜まっているけれど、明日は午後から席を外さないといけない仕事ばかり・・・。
よし!明日、朝早く出勤してがんばろう!
翌日、1時間早く出社して仕事を開始。
ほどなく、他部署の管理職Aさんが出勤して来ました。
「朝早くからご苦労さま。がんばってるね」
と声をかけてくれます。
と、ここまではいい感じ。
Aさんは私の向かい側の席に座り、あーだこーだと世間話を始めます。
どーでもいい話だけれど、聞かないわけにもいきません。
仕事が出来ずに、心の中ではイライラ。
悲しいかな、顔は笑顔。
早く出社したけれど、結局、まったく仕事がはかどりませんでした。
こんなことなら、1時間ゆっくり寝たかった~。
仕事するために早く来たことを伝えたのに、どーして私の前に居座るの?
仕事させて~! お願い~!
伝えたにもかかわらず、やりたいことができない状態。
こんな経験ありませんか?
当時は、コーチグのコの字も知らなかったので、
「Aさんのせいで、まったく仕事が進まなかった。デリカシーのない人」
と、ひとりで怒っていました。
この状況を、今ならどうするだろう?
仕事が溜まっているので、早く出社したことは伝えました。
しかし、Aさんは座って話し出しました。
と、いうことは、私がこの1時間で溜まっている仕事をしようとしている状況が
Aさんに伝わってない、伝え切れていない、ということです。
ここに、コミュニケーションのギャップが生じます。
おまけに、私は笑顔でAさんの話を聞いているのです。
聞いてくれているから、Aさんは話ができる状況と受け取ったのでしょう。
“相手の受け取った分が、私の伝えたこと”なのです。
このことを理解していると、状況を変えることができます。
本当に言いたいことを伝えることができます。
コミュニケーション・ギャップの解消へとつながります。
たとえば、
「9時までに仕上げたい仕事があるので、
お昼休みにでも話の続きを聞かせてもらっていいですか?」
とさわやかに伝え、仕事に集中することもできるでしょう。
そして、相手が受け取りやすいように伝えることも大切です。
毎日欠かすことのないコミュニケーションについて、
私たちは、わかっているようで、わかっていないことが多いのです。
しかし、コミュニケーションは、技術(スキル)ではなく、
その人自身の表れであり、心の姿、だと私は思っています。
気になる人、その他
最近、気になる人がいます。
その人は、豊川悦司。
テレビで放送された映画 『北の零年』では、
志乃(吉永小百合)への愛の表現に、心が熱くなりました。
映像では年齢の差がハッキリわかるのですが、愛する心にはまったく関係ないのです。
うっ、うますぎる・・・。
DVDで観た映画 『フラガール』では、
炭鉱夫役。
炭にまみれた姿は色白なのも吉と出て、
荒々しい男臭さの中に、家族やまわりの人への温かい情を感じました。
今後、どんな姿で、何を表現するのか楽しみな人です。
その他、気になるテレビ番組は、
『時効警察』 http://www.tv-asahi.co.jp/jikou/
なんとも言えないノリが大好きです。思わず、噴き出してしまいます。
関西では深夜放送なので、大笑いすると危ないです。
深夜、自分の笑い声が予想以上に響き渡ります。
吉本のお笑い系とはちょっと違うので、笑い声も怪しくなり、変な噴き出し方をしてしまいます。
『サラリーマンNEO』 http://www.nhk.or.jp/neo/
“テレビサラリーマン体操”が大好きです。
体を動かすことが好きなので、いっしょに動いてみます。
アクロバチックな動きの時は、ジーッと静止しています。
どのコーナーも、切り口が斬新です。
どちらの番組も、お帰りなさい♪
以上、最近、気になる人とその他でした~。
ベランダに、ひとひら~
昨晩、ベランダに出ると、桜の花びらがひとひら、落ちていました。
自宅の周りに桜の木はないので、
どこかで散った桜の花びらが、風に乗って、ここまでたどり着いたのでしょう。
ひとひらの桜の花びら。
この花びら一枚に、
季節の移り変わりを感じます。生命力を感じます。
と同時に、はかなさや寂しさも感じます。
この花びら一枚で、
桜とわかります。わかる自分に、日本人の持つ感性を感じます。
桜は、
芽吹く頃もよし。
満開の頃もよし。
散り際もよし。
人生も桜と同じように巡っていく、
ということを私に感じさせてくれました。
今朝、ベランダに出ると、ひとひらの桜の花びらは、もうそこにはありませんでした。
仲良しに見えるふたり
2歳になった甥っ子と私です。
わきあいあいとした雰囲気♪
とても仲が良さそうに写っています。
実際、そんなに仲良くもない・・・
っていうか、あんまり仲良くしてくれない!
それでも、うれしいことに
「ばあば」 から 「ねえちゃん」 に昇格?しました~。
私も、叔父や叔母のことを
「○○ちゃん」と名前でずっと呼んでいたけれど、
ちゃんと叔父叔母ということは理解していました。
きっと、甥っ子もわかるのだろう。
今は、わかってないかもしれないけれど。
プロフィールの顔写真以外に、
自分の姿をさらすなんて思いも寄りませんでした。
それにしても、
甥っ子の力は偉大であーる。
心の格差社会
雨の中、図書館に本を返却に行きました。
入り口の傘立てに置いた私の傘が見当たりません。
なくなっていました。
図書館の職員さんが置き傘を貸してくれたので、雨に濡れることなく帰ることができました。
助かりました。
10年ほど前、コンビニでも傘がなくなったことがありました。
その時は、“なくなった”ではなく、“盗られた”と思いました。
そして、傘をとったヤツのことを想像して、めちゃくちゃ腹を立てました。
今回も誰かに盗られたのかもしれません。
しかし、現実に私の目の前で起こった事実は、“私の傘がなくなった”ということです。
現実を捉えて考えると、感情が高ぶることもありません。
誰かが私の傘を差して帰ったとしましょう。(間違って持ち帰った可能性もありますが)
私の傘は、大事に使ってくれるだろうか?
人の傘を勝手に持ち去る人に、あまり期待はできません。
そう思うと、傘に対しても、持ち去った人に対しても、悲しい気持ちになります。
傘の持ち主が困る。想像もつかないのでしょうか?
そう考えると、ほんと悲しくなります。
これはほんの一例で、心の貧しい人が確実に増えていると感じます。
難解な方程式を解ける明晰さより、人の心を察することができる心を持つこと。
私たちが一生を通して学び続けなければならない大切なことは、後者です。
以前の私は、自分が疲れていると、電車でお年寄りに座席を譲るのを躊躇する、
そんな人間でした。
今は、自然に席を譲ることができるようになりました。
ある日、駐輪場に止めていた自転車を出すのに四苦八苦していたら、
近くにいた大学生が手伝ってくれました。
ちょっとした心遣いが、私にはとてもうれしく心に響きました。
自分が相手の立場で行動するようになると、相手が自分のためにしてくれることを
受け止める心が生まれます。
精神の格差は、年齢でも、学歴でも、収入でも、測れません。
肉体的には大人なのに、精神的には子どものままだという人が増えたのは、
家庭でも学校でも社会でも 「与える機会を与えられなかった」 からである。
引用 : 『「受ける」より「与える」ほうが幸いである』 曽野綾子 著
誰かから何かをもらう、何かを与えられる、それが当然だ、というのが現代の風潮です。
与えることの大切さを、与えることの豊かさを ― 心の豊かさを、誰もが理解し、
実践する世の中を創っていくことが、現代を生きる私たちの使命のひとつなのではないかと思います。
むずかしく考えなくても、自分のまわりで、自分のできることから始めればよいだけです。
あなたの心が感じたことから始める、そうするだけでよいのでは?
きっと何かが動き出します。