日々これ好日

ハイヒールにしか見えない鹿


今年の初詣は、奈良の春日大社に行ってきました。
参道では鹿が出迎えてくれて、神様のもとへ向かって
歩いているのだと神聖な気持ちになりました。

今年は、争いごとなく穏やかで明るい年になりますように。

東大寺周辺の観光客が多い所にいる鹿には、
春日大社にいた鹿のような神聖さは感じられませんでした。
鹿がどうのこうのではなく、私の気持ちや捉え方ですね(笑)

「何事も自分の気持ちや考え方次第。ものの見方はどのようにでも変わる」
ということを奈良公園の鹿たちに教えてもらいました。

それにしても、鹿の足のスリムさに今更ながら驚きました。
蹄(ひづめ)を見ていると、ハイヒールを履いて
歩いているようにしか見えなくなります(笑)


現在と江戸時代の時間感覚


2022年も残すところ数日です。

私たちは「時間は過去から未来に流れている」と考えています。
考えているというより、そう思い込んでいます。

私たちが今使っている時計は、2本の針が動きますが
江戸時代の和時計は、固定された針の周りを文字盤が動く仕組みでした。

西洋の価値観が入ってくる前の江戸時代は
「時間は未来から過去に流れている」と日本人は考えていたのです。
「未来はやって来る」ものでした。

現在の価値観の主流は「2023年という未来に進んでいく」
江戸時代の価値観では「2023年という未来がやって来る」

どちらの時間感覚も、私のなかにはあるように感じます。

書初めや年賀状に書かれる「迎春」(新年を迎える)という言葉は、
日本人らしい言葉だと思います。

私にとっては、1年の内で年末が「未来がやって来る」という
時間感覚がいちばん強くなる「とき」です。

良いお年をお迎えください。


オーロラと満天の星


「オーロラを見に行ってきました!」

まるで北欧やカナダ、アラスカにでも行ってきたような口ぶりですが
日本国内です。大阪市立科学館のプラネタリウムです。

ドーム型のスクリーンに映し出された
全天のオーロラはとても美しく神秘的でした。

さらに、極北の極寒の大地に立って大空を見上げている
・・・想像を逞しくすると、
実物の美しい壮大なオーロラが
目の前に広がっているかのように感じらる瞬間がありました。
(凄まじい“本気”の想像力!!アブナイ人って言わないでください)

また、実際に大阪の街でも夜空を見上げると、
肉眼でも数個の星を見つけることができます。

プラネタリウムでは、
大阪の街の灯りをすべて消した状態の夜空も投影されました。

そこに広がったのは、満天の星でした。

夜空に輝く星々の美しさを前にして
言葉は出てこず、涙が滲みました。

私たちの真上には満天の星が広がる世界が存在します。

私たちは、目に見えることに意識がいきがちですが
目には見えていないけれど、満天の星が存在する、
ということをもっと意識したいです。

見えないものは、想像しないことには見えない。

夜空だけではなく、生活上でも仕事上でも
見えないものは想像を駆使して見ていきたいです。

そして、近いうちに、真っ暗で静かな山や平原や海上から
本物の満天の空を眺めてみたいです。

もうひとつ、生きているうちに、宇宙空間から地球を眺めたいです。


年末の気忙しさの解釈を変えてみる


毎年のことですが
年末が近づいてくると、なぜか気忙しくなってきます。

今までは、やり残していることがあるから
気持ちが焦るのかと漠然と思っていました。

そこで、今年は別の解釈をしてみようと思います。
こういうのはいかがでしょう?

「来年を良い年にしたい」という気持ちの表れが
「気忙しさ」なのだ。

“良い来年”という“明るい未来”に目を向けると
気持ちが違ってきます。

残り数週間、もう少しがんばろうと前向きになれます。


過去と未来の風景


近所の更地になっている場所を見て
「あれ?ここには何があったかな?」
と思い出せないことがよくあります。

近所も少しずつ建物が建ち替わっていって
10年前の風景とはずいぶん変わりました。

100年前とは、もっと違って変わったのでしょう。

10年後はどう変わっているのだろう?

100年後のこの街はどんな姿をしているのだろう?

また~に、こうやって過去と未来の風景を想像します。

そして、常に変化のなかにいるのを感じます。
その変化のなかで、自身の変化も再確認します。

↓ 大阪城周辺のビルです

秀吉公の時代、どんな風景が広がっていたのでしょう?


無頓着?気にかける?


気分がよいのか?
嫌な気分なのか?

今どんな気持ちなのか?
普段どんな気持ちでいるのか?

私たちは、ほとんど気にかけていません。
無頓着です。

気にかけていないので
今、よい気分でいるのか、気分が悪くなっているのか、
気づかないでいます。

今の状態に気づくことは
「感情のコントロール」のきっかけになります。


よく道を尋ねられます


昔から、なぜかよく道を尋ねられます。
多いときは、1日に3回尋ねられたこともあります。

今はスマホで調べる人が増えたので
尋ねられなくなったかというと、そうでもありません。

初めての土地で「マクドナルドはどこですか?」と尋ねられたことがあります。
そのとき、答えられた自分に驚きました!
電車の車窓から見た光景のなかに、尋ねられた場所から遠くない所に
マクドナルドがあったのを思い出したのです。

そのとき、この人のために、私はマクドナルドを見たのかもしれない
と思ったぐらいでした 笑

道を尋ねられるのは生活の一部になっていて、それを楽しんでいます!

楽しんでいるから、よく尋ねられるのかもしれないですね。


どちらも生命力


私たちは、喜んだり、笑ったり、楽しんだり、
心配したり、悩んだり、不安になったります。

「喜んだり、笑ったり、楽しんだり」については
これ以上、どうにかしようとすることはありません。
そのまま味わいます。

「心配したり、悩んだり、不安になったり」については
どうにかしたい、どうにかしよう、解決しようとします。
これらの感情をできるだけ味わうのを避けようとします。

「心配したり、悩んだり、不安になったり」しないほうが
よいことだと思って、なんとかしようとします。

私たちには、
「喜んだり、笑ったり、楽しんだり」するスペースがあるように、
「心配したり、悩んだり、不安になったり」するスペースが
内在しているように感じます。

笑って、笑いが終わり、何もない状態があって、また笑います。
同じように
悩んで、悩みが解消し、何もない状態があって、また次の悩みが生まれます。

笑いが続くことを良しとしても
悩みが続くことはなかなか良しとできません。

「喜んだり、笑ったり、楽しんだり」することで
生きてる実感を味わいます。
同じように
「心配したり、悩んだり、不安になったり」することでも
生きている実感を味わっているのではないでしょうか。

悩み事や心配事、不安になるのも
よりよく生きようとする生命力のように感じています。

よりよく生きるために、いろんな感情を味わっている。
そう考えると、大きな気持ちで気楽にいけそうですね。


医療・人間の内面


医療ものドラマは、テレビでは毎シーズン放送されています。

恋愛ドラマの次に多いのではないだろうかと思うぐらいです。

数年前、ある医師との雑談のなかで
当時放送されていたある医療ドラマが面白いという話になりました。

医師も医療ドラマを観る、小さな驚きとともに新鮮でした。

この医師に常々疑問に思っていたことを訊いてみました。
「昔から医療もののドラマが多いのはどうしてなんでしょう?」
すると
「人間の内面を描きやすいからじゃないかな」
と答えてくれました。

確かにそうだと納得しました。

…………
ドラマではなく実際に
医療に従事する方々の日常は
内面に起きることにどう向き合うかの連続なのかもしれない…
と思いを馳せました。

医療従事者にとっては
それが当たり前、普通のことになってしまっていて
そのことに気づいていない人も多いのではないだろうか
とも思います。

さまざまな経験を積んだ内面を発揮して今まさにお仕事されている…
ドラマではなく、リアルな医療現場で働く方々の姿が目に浮かびます。


人と話すと発見があります


コロナ禍、長期にわたって人と話す機会が減りました。

だからこそ、気づけたことがあります。

それは「人と話すと、発見がある」ということです。

日常の何気ない会話から
小さな発見をたくさんしていた。

その発見が原動力となって、何かにつながり、動き出す。
そういう循環を生み出すきっかけになっていた。

そのことに気づけたことが
コロナ禍のプラス面と受けとめています。

人とのちょっとした会話を
今まで以上に大切にしようと思います。

どんな発見があるかな?
好奇心をもって!

…………………

朝ドラ『舞い上がれ!』の舞台のひとつ・東大阪に暮らしています。
東大阪の秋空と飛行機です。飛行機は中央左寄りに小さく写っています。


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