日々これ好日
メンタルと人間関係
メンタルがどんな状態なのかが、人間関係に影響します。
ただ単に「メンタルのよい状態を保とう」からスタートするより、
メンタルの安定・不安定が人間関係にどう影響するのかを理解してから、
メンタルを安定した状態にしていくほうが効果的です。
どのように影響するのか想像して、行きたい先がはっきりしていると
進みやすくなります!
夏の賑わいに触れて
コロナが5類に移行して、この夏は賑わいを取り戻してきました。
大阪は天神祭りも再開し、近所のお祭りでは浴衣姿の小さな子どもたちの
楽しそうに遊ぶ姿を見て、やっぱり夏はこれでなくちゃ!と思いました。
コロナの数年、特に、子どもはいろんなことを体験することが
できなかったのだとしみじみと考えさせられます。
大人も子どももいきいきとして、みんなが笑っている。
そんな幸せな世界がこれから広がっていくよう 人とかかかっていきます!
銀行の新人さん
銀行に行ったときのことです。
窓口の担当者は、新人さんなのか業務に慣れていない感じでした。
私の手続き中、何度も先輩に確認に行きます。
いろんなところで引っかかりながらも、がんばっていました。
1週間後、その銀行に別の手続きで行ったとき、
窓口担当は、また前回の新人さんでした。
新人さんが、私のことを覚えてくれていたのも嬉しかったのですが、
それ以上に嬉しかったのは、1週間前と同じ人物だとは思えないほど
その新人さんがきびきびと動けるようになっていたことです。
仕事のスピードが上がっていて、先輩への確認のポイントも
絞られているのが見てとれました。
1週間前は、自信がないのか声も小さく聴き取りにくかったのですが、
1週間後の今回は、声もよく出ていて表情も明るく、別人のようでした。
1週間でこんなにも成長するんだ!と若い人の可能性を実感した
気持ちが晴れ晴れとする体験でした。
鳥のさえずり
実家は、前が「海」、後ろは「山」という環境です。
後ろの「山」には、いろんな種類の鳥がいます。
ウグイスの「ホーホケキョ」のさえずりは、
4月に帰省したときに耳にしたよりも
5月のほうが滑らかさが増していました。
メジロの「キュルキュルキュル」や「チューチュルチー」という
さえずりは、いつまでも聴いていられる心地よさがあります。
特に、メジロはあんなに小さな体なのに
山に響き渡る音が出せるなんて……まるで声楽家みたいです。
それに、鳥の鳴き声は
空気を清らかにしてくれる空気清浄機のようにも感じます。
少しイメージするだけで、この場にリラックス空間が広がります。
選択し決断する
仕事でお世話になった方が、この秋で退職されるという
知らせが届いて、少し寂しく感じています。
この方が数十年に渡って積み重ねてきた経験や
その経験に裏打ちされた判断や決断の数々を想像し、思いを馳せました。
この方の人生に、私も少し登場させていただいたことに
感謝の気持ちが湧いてきます。
この方のように、
誰もが人生の折々で、何かを選択し決断します。
「決める」をもっと大事にしていこうと思います。
思い出し笑いの幸せ
お腹がよじれるほど大笑いする出来事がありました。
めちゃくちゃくだらない事なのですが、ツボにハマって、
そのあと3日ほど、思い出し笑いばかりしていました。
今も、思い出しては小笑いしています。
くだらないことでこんなに笑えるって幸せです。
あちこちから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
そんな小さな幸せがあふれる世界がいちばんです。
今一緒にいる、ただ一緒に歩く
先日、あべのハルカス展望台入り口16階の庭園で
中学生ぐらいの男子4人グループに写真を撮ってほしいと頼まれました。
(道を聞かれることも多いですが、カメラのシャッター押し依頼率も高いです)
男子の一人にどこから来たのか尋ねると、受験休みを利用して、
福井県から来たと嬉しそうに話してくれました。
中学時代の3年間すべてコロナ禍だったのだと思うと、
4人で過ごす大阪での時間を思いっきり満喫してほしい、
よい思い出をたくさん作ってほしいと、
かなり気合を入れてシャッターを押しました。
4人いま一緒にいる、ただ一緒に歩く、それだけでも楽しそうな様子に
じんわり胸が熱くなりました。
「青春」ですね!
余談になりますが
中学生とのやりとりに、私も大阪のおばちゃんだなと思ったのでした。
ハイヒールにしか見えない鹿
今年の初詣は、奈良の春日大社に行ってきました。
参道では鹿が出迎えてくれて、神様のもとへ向かって
歩いているのだと神聖な気持ちになりました。
今年は、争いごとなく穏やかで明るい年になりますように。
東大寺周辺の観光客が多い所にいる鹿には、
春日大社にいた鹿のような神聖さは感じられませんでした。
鹿がどうのこうのではなく、私の気持ちや捉え方ですね(笑)
「何事も自分の気持ちや考え方次第。ものの見方はどのようにでも変わる」
ということを奈良公園の鹿たちに教えてもらいました。
それにしても、鹿の足のスリムさに今更ながら驚きました。
蹄(ひづめ)を見ていると、ハイヒールを履いて
歩いているようにしか見えなくなります(笑)
現在と江戸時代の時間感覚
2022年も残すところ数日です。
私たちは「時間は過去から未来に流れている」と考えています。
考えているというより、そう思い込んでいます。
私たちが今使っている時計は、2本の針が動きますが
江戸時代の和時計は、固定された針の周りを文字盤が動く仕組みでした。
西洋の価値観が入ってくる前の江戸時代は
「時間は未来から過去に流れている」と日本人は考えていたのです。
「未来はやって来る」ものでした。
現在の価値観の主流は「2023年という未来に進んでいく」
江戸時代の価値観では「2023年という未来がやって来る」
どちらの時間感覚も、私のなかにはあるように感じます。
書初めや年賀状に書かれる「迎春」(新年を迎える)という言葉は、
日本人らしい言葉だと思います。
私にとっては、1年の内で年末が「未来がやって来る」という
時間感覚がいちばん強くなる「とき」です。
良いお年をお迎えください。
オーロラと満天の星
「オーロラを見に行ってきました!」
まるで北欧やカナダ、アラスカにでも行ってきたような口ぶりですが
日本国内です。大阪市立科学館のプラネタリウムです。
ドーム型のスクリーンに映し出された
全天のオーロラはとても美しく神秘的でした。
さらに、極北の極寒の大地に立って大空を見上げている
・・・想像を逞しくすると、
実物の美しい壮大なオーロラが
目の前に広がっているかのように感じらる瞬間がありました。
(凄まじい“本気”の想像力!!アブナイ人って言わないでください)
また、実際に大阪の街でも夜空を見上げると、
肉眼でも数個の星を見つけることができます。
プラネタリウムでは、
大阪の街の灯りをすべて消した状態の夜空も投影されました。
そこに広がったのは、満天の星でした。
夜空に輝く星々の美しさを前にして
言葉は出てこず、涙が滲みました。
私たちの真上には満天の星が広がる世界が存在します。
私たちは、目に見えることに意識がいきがちですが
目には見えていないけれど、満天の星が存在する、
ということをもっと意識したいです。
見えないものは、想像しないことには見えない。
夜空だけではなく、生活上でも仕事上でも
見えないものは想像を駆使して見ていきたいです。
そして、近いうちに、真っ暗で静かな山や平原や海上から
本物の満天の空を眺めてみたいです。
もうひとつ、生きているうちに、宇宙空間から地球を眺めたいです。