2012年3月

意図合わせの大切さ


今年に入って約3ヶ月に渡り、自立就業支援の事業所で、
コミュニケーション・セミナーを担当しました。
学ぶ意欲の高い人たちが集まっていて、
とても良い雰囲気の場をつくることができました。
今回は、特に、セミナーの環境づくりの重要性をあらためて実感しました。
環境を整えるには、講師の私一人ではどうにもなりません。
スタッフの方々の協力は、不可欠です。
みんなで一緒にセミナーをつくっていく、という意識を持つことが大事です。
そのために、まず必要なのは、場づくりのための意図のすり合わせです。
この部分をおろそかにすると、セミナー全体に大きな影響が出てきます。
たとえ、すり合わせがきちんと出来ていなかったとしても、
途中で、再度、しっかり意図合わせをすれば、それで大丈夫です。
そこから、みんなで知恵を出し合い、より良いセミナーを再構築していけるからです。
今回の一連のセミナーで、とても大切なことを学びました。
スタッフの皆さんと、ともに学び合う関係を築けたことも大きな収穫でした。


「鍵は必ず何かを開ける」 「みんな何かを失くしている」


映画 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 を観ました。
9.11で父親を亡くした少年の物語。
父親が残した鍵に込められたメッセージを探し出そうとする少年と、
かかわる人々の姿が描かれています。
映画の初めのほうでの、鍵屋のおじさんのひと言。
「鍵は、必ず何かを開ける」
このひと言が、最後に、響き渡り、映画の世界観が、目の前に大きく広がってきます。
鍵は、少年だけでなく、出会った人たちそれぞれの、何かを開けていきます。
この少年が、こじ開けるのではなく、やさしく、自然に、開いていくかのように。
映画の終盤、少年の言葉も印象的でした。
「みんな何かを失くしている」
少年は、大勢のブラックさんたちと出会い、そのことを体感していきます。
その象徴は、途中から一緒に旅をする 声を失くした少年のお祖父さんです。
特に、お祖父さんとの触れ合いの中で、少年は感じ取ったのではないだろうか思います。
「失くす」ということは、マイナスのイメージがありますが、
「失くす」ことを肯定的にとらえることもでき、失くすことで得るものもある、
と少年は教えてくれました。
この映画は、ハンカチなしでは観られません。
大泣きはしませんが、涙が乾く暇もありませんでした。
「鍵は、必ず何かを開ける」
私も、この少年に出会えてよかったです。


惜福・分福・植福


昨晩のNHK深夜便・ミッドナイトトークのゲストは、
東京大学大学院教授のロバート・キャンベル氏でした。
幸田露伴の 『努力論 (岩波文庫)』で書かれている
“幸福を3つに分ける”について興味深く聞き入りました。
3つの幸福とは、
『惜福(せきふく)』 ・・・いいことを少しずつ取っておく
『分福(ぶんふく)』 ・・・人に分けて与える
『植福(しょくふく)』 ・・・人のために福を植える
聞き覚えなので、正確でないかもしれませんが、このように話していました。
“幸福”の“幸”は、いろんな意味の“幸”を包含しています。
幸田露伴の幸福論が、私の中にある幸福の畑に、音もなく降り注ぎました。
また、キャンベル氏は、
日本語の『お裾分け』は、英語に翻訳しにくいとも話していました。
「チャリティー」や「寄付」ともまた違う・・・と。
確かに、“お裾分け”の機微を表現する、しっくり当てはまる、
外国語は存在しないのかもしれません。
昨晩のトークのテーマは、『至福のとき』。
キャンベル氏の締めの言葉、至福のときが印象的でした。
「偽りのない自分に向き合うとき」
言葉の持つ幸福感を味わったひとときでした。


ため息をつかなくなった


ため息をつかなくなっている!
このことに気づいて、なんだか嬉しくなって、
チラッとこの日記に書いてみようと思いたったわけです。
20代後半から30代前半の頃は、日常的にため息をついていました。
無意識でなく、自分でもそれとわかるくらい頻繁に、です。
気づけば、ここ数年、ほとんどため息をついていないように思います。
もっと前に気づいたことは、毎朝起きるのが辛くない、でした。
会社勤めの頃は、「今日も仕事かぁー」
1日の始まりを気分よく過ごせていない日もありました。
しかし今、そんな日は、 ・・・記憶にありません。
毎日が充実。
毎日が楽しい。
毎日が発見。(このタイトルの雑誌ありますが・・・)
と同時に、毎日を淡々と暮らしています。
この淡々さが、私にはほど良いのです。
なんだかんだ言っても、結局は、
コーチングがもたらしたものは、計り知れない。
ここに落ち着きます。


思い出は優しい


先日、繕い物をしていたとき、ふわっと懐かしい優しさに包まれました。
以前勤めていた会社でのことです。
勤務時間中に、制服のブラウスの袖のボタンが外れてしまいました。
会社はホテル、サービス業です。
身だしなみに気を遣うのは、当たり前、必須です。
選択肢は、ふたつです。
1.すぐにロッカーに行って、別のブラウスに着替える
2.すぐにロッカーに行って、ブラウスを脱いで、ボタンを付け直す
ボタンが外れたので、今からロッカーに行く(持ち場を離れる)ことを、上司に伝えました。
すると、上司(部長・男性)が、
「わたし、やりますよ。 (ボタン付け)得意なんです」
にこやかに、そう言ってくれたのです。
あまりにも自然な成り行きに、申し訳なさもありながら、
部長は、さあさあどうぞ、ウェルカム体制です。
ボタンの外れたほうの腕を、部長に差し出すと、
部長は、ササッと手際よく、ボタンを付け直してくれました。
部長の意外な一面を垣間見ると同時に、
部長の優しさが、ブラウスの袖口を通して伝わってきました。
もうずいぶん前のエピソード、今は、良き思い出となっています。
当時の思い出は、とても優しいです。
たまに思い出す会社勤めの頃のエピソードは、どれもこれも優しいものばかりです。


主体的に生きる、ということ


私の今年のテーマのひとつは、『主体的に生きる』 です。
コーチングをはじめた少し後、2004年の後半から、
ある医療関係のNPOに、ボランティア・スタッフとして関わるようになりました。
この団体の活動のひとつに興味があって、詳しくお話を聞きたいと思い、
事務所に伺って以来、仕事(コーチング)に支障のない範囲で、
“無理しない、細~く長~く”をモットーに、ボランティアを続けています。
この団体は、昨年、大きな変化の一年となりました。
団体の大きな変化、ボランティアながらも、その渦中にいる自分を肌で感じ、
私の関わりのスタンスも再確認しておこう、と思いました。
私自身、この団体にこうして長く関わっているのは、どうしてなんだろう?
8年目に入る今年も、今までと変わりなく、
淡々と、自分の役割を果たそうと思っているのは、何があるからなのだろう?
・・・・・・・ その答えが、『主体的に生きる』 でした。
私がコーチングを通じて、人生で体現したいのは、
“自分で選択して生きる”
“被害者でなく、主体者で生きる” です。
この団体の目指すところは、
“患者が主体的に医療に関わる”
“わたしがいのちの主人公” です。
この団体を立ち上げた人や、その人と長きに渡って二人三脚で活動したきたスタッフは、
まさに“主体的に生きる”人たちです。
一貫して、主体性を発揮している人たちです。

この団体の目指すところと私の目指すところは、最終的に同じなのだ、
ということを再認識しました。
主体的に医療に関わるためには、
医療の現場に限らず、人生に起きることすべてにおいて、
主体的に生きることが必要になってきます。
8年目にして、今さらながらと思われるかもしれませんが、
コーチングを通じて、私が体現したいことと同じだったのです。
そして、今年は、“主体的に生きる”をさらに実践していこうと決めました。
まずは、主催イベントとして、
3月31日(土) 『主体性を高める グループ・コーチング』を開催します。
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://www.a-relation.com/column/2012/02/post_215.html
ピンと来た方、ぜひご参加ください。
お待ちしています!


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