学びコラム

感情のコントロールが上手くなるための質問セミナー


        ~答えて聴いて気づく~
●●感情のコントロールが上手くなるための質問セミナー●●

いつもと違う視点からの質問に答えて(小難しい質問ではなく、シンプルな質問ですので
ご安心ください)、また他の参加者の話を聴いてさらに視野を広げることで、
感情と上手につきあっていくための気づきや行動を見出すセミナーです。

今まで気づいていなかった自分の中にある答えを見つけるのは
自己肯定感を高めることにもつながります。

初対面でも話しやすい安心感のある場で、和やかに交流しながら進めます。

どんな質問が投げかけられるのか、どんな答えが自分の中から出てくるのか、お楽しみに‼
 
<こんな方におすすめです>
◆ 感情労働のストレスをやわらげたい
◆ 感情に振り回されて疲れる 
◆ 自己の感情の他者への影響について考えることがある
◆ 自分で自分の機嫌をとれるようになって日々穏やかに過ごしたい 
◆ どんな質問をされるのか興味がある♪ 

<日 時>
2025年8月9日(土)13:30~15:45
<会 場> オンライン開催(Zoom使用)
※カメラとマイクをオンにしてご参加ください

<定 員> 10名様

<参加費> 4,000円(税込)

<お申込み> セミナー予約フォームからお申込みください

※開催日の3日前(8月6日)までにお申し込みください
※満席になり次第、受付を終了いたします
※お申し込み後、メールにて参加費のお振込先をご案内いたします

☆セミナー案内チラシのPDFはコチラをご覧ください


相手を否定する気持ちとは


今回は、16年前に別のブログで書いた記事に
少し加筆・修正したものです。

____
ある人(仮にAさん)と話していると、
どうしても自分が否定されている、非難されているような気持ちになって、
しんどいな〜と思うことが続いていました。

あることがきっかけで、
“私はAさんが苦手なんだ!”と口に出すことができました。

できるだけ自分の気持ちをごまかそう、うやむやにしておこうとしていたのが
だいぶんしんどくなってきたのか、正面から向き合うことに。

Aさんに向き合うのではなく、
「否定されているような気持ちになる自分」に向き合ってみました。

やった〜!! 解明できました!! 

Aさんに否定・非難されているのではなく、
私自身の中に、Aさんを否定・非難する気持ちがあった。

そのことに、ようやく気づきました。

Aさんと私は、考え方やものの捉え方がかなり違います。

Aさん自身を否定・非難する気持ちではなく、
Aさんの考え方を否定・非難する気持ちなんだ、この核心部分に気づいたのです。

考え方の違いに引っかかって、ああしんどいわ〜、と思ってただけなんだと。

違う考え方だったら、受けとめられます。

どうしてかというと、考え方の違いは、
「違い」であって、「間違い」ではないからです。

相手に否定されているという思い込み。
その思い込みは、私が相手を否定する気持ちから生じたのです。

スッキリ!!


成長とは


成長には、いくつか種類があるように思います。

ひとつは、子どもから大人への成長です。
それは、体の成長や、スポンジのように新しいことを吸収する成長。
身長が伸びるように上へ上へと伸びて成長します。

30歳代ぐらいまでは、上に伸びていく感覚が私にはまだありました。

40歳代頃から、もうひとつ別の成長を感じるようになりました。

それは、上へ伸びていく成長ではなく、空間を満たしていく、横に伸びていく成長です。

子どもの頃のように、新しいものを吸収して伸びるのとはまた違い、
今までの経験からの考え方や物事の捉え方が、他の考え方や捉え方と融合したり、
古い考え方を手放して、新しい考え方を持ち替えたりと、
考え方・捉え方がやわらかく広がっていく成長です。

高みを目指して成長するだけが成長ではなく、
まわりにも目を向けて、横に広がるように伸びていく成長を感じました。

50歳代からは、これを成長と呼ぶのかどうかよく分かりませんが
ある変化を感じるようになりました。
自他の境目がゆるんで、前よりも他者の喜びや悲しみなどの思いに
自分の心が伸びていって触れようとする感覚です。

成長とは何でしょう?

「成長」とは「変化」でもあると今は思っています。

あなたにとっての「成長」とは何でしょうか?


「やりたい」と「している」


先延ばしにしない。

特に「やりたいこと」を先延ばしにしないこと。

今年は忙しくて無理そう。来年にしよう。
(その来年も今年になって、また先延ばし…)

定年退職したら、必ずやろう。
(まだまだ先のこと…)

また、本当にやりたいことには、気づかないふりをしてフタをします。

気づいても、大きめの重要なやりたいことは
「今」じゃなくでもいいかと先延ばしする心が働きます。
やりたいことに向き合わないでおこうとします。

それに、「やりたい」と「している」は大きく違います。

やりたいことを想像するだけに時間を使っていませんか?

「やりたい」を想像することに時間を費やすよりも
実際に「している」時間のほうが重要だと誰もが気づくでしょう。

先延ばしというのは、時間の使い方です。
もっと言えば、人生の使い方でもあります。

私たちの時間は有限です。限られています。
しかも、いつまであるのかも分かりません。

さあ、新しいスタートの春です。

あなたの大事な「やりたい」を「している」に!

応援しています!


泰然自若


実家は山の斜面にあり、目の前には海が広がっています。

海は常に表情が変わります。

穏やかな海、明るい海、爽やかな海、さざ波の優しい海、
波の高い海、暗い海、どんより曇った海、荒れた海…
日によって、時間によって、その表情は変わります。

とどまることなく変化します。
表面の表情は刻一刻と変わり続けます。

表情はどんどん変わる海。
そんな海に、子どもの頃から安心感も持っていました。
いつもそこにあるという安心感。

この安心感に名前を付けるならば…「泰然自若」です。
落ち着いていてどんなことにも動じないさま。

そういう海を日常に育ちました。

今、人とかかわる仕事を通して
人は海と同じなんだと感じます。

人は、喜んだり笑ったり、怒ったり悲しんだり、
優しかったり傷つけたり、素直だったりひねくれたり…
その時々でさまざまに表情が変わります。

やはり、人も海と同じ「自然」なのだと思います。

海と同じように、人の表面の表情は変わっても
その変化し続ける表情とともに、動じない泰然自若とした何かがあります。
私はそのことにいつも安心します。

感覚的な表現なので、よく分からないという方もおられると思います。
よく分からないよ~と困った表情のあなたにも私は安心しています。
(もっと分からなくせちゃいましたか??)

今回は、特に感覚で読んでいただければ幸いです。


見えるもの・見えないもの


世の中をよく見ていると
見えるものよりも、見えないもののほうが多いと気づきます。

人の姿かたちは見えても、その人の気持ちや考え、無数の経験などは見えません。

紛争の映像を目にしても、そこで暮らす人々の本当の日常は見えません。

圧倒的に見えないもののほうが多いのです。

見えないもの。
そういうところに、大事なものがあるのだと思います。

サン=テグジュペリの『星の王子さま』にもこうあります。
‟ 大切なことはいつだって目に見えないものさ ”

長年人の話を聴き続け、人とかかわり続けてきて
分かったことがあるとすれば、それは
実際のところ「人のことは分からない」ということです。

人のことは分からないと言い切ってしまうと
投げやりに聞こえるかもしれませんが、そういうことではありません。

人のことは分からない。
だから、その人のことを何でも分かっていると思わないこと。
もっと言うと「分かったつもりになってはいけない」ということです。

分かっていると思った途端、その人のことが見えなくなります。
分かったつもりになっていると、その人の中にある大事なものから遠ざかってしまいます。

目に見える人や物、出来事から、見えないものをどう見ようとしていくか。
それが、人に与えられている能力なのだと思います。

それに、宇宙の96%は見えなくて、見えているのはわずか4%だそうです。

宇宙は分からないことばかりです。
そんな宇宙で生きているんだと認めてしまうと
よい塩梅に心身がほぐれて、世の中を見渡せるのではないでしょうか?

見えるものよりも、見えないもののほうが多い。
見えないものの中にこそ、大事なものがある。

見えているものだけにとらわれないための考え方を
ひとつ持っておく1年にしませんか?


内側も大掃除


年末に大掃除をするように、私たちの内側も大掃除して
新しい年を迎えたいものです。

そこでふと思い出したのが、
スリランカ上座仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ著
『こころを清らかにする言葉』のなかの言葉です。
…………………
自分のことを不完全だと心から思っている人には
精神的な悩みがありません。
…………………

私たちはどうしても
「きちんとやらなければ」
「仕事も家事もちゃんとしなければ」
「間違ってはいけない」
「人からよく思われたい」
「完璧にしたい」
など「完全」でありたい気持ちを大なり小なり持っています。

しかし、ちょっと考えてみると分かることですが
完璧な人って存在しますか? どこにいます?

そんな人はどこを探してもいません。
どんな偉業を成し遂げた人でも、完璧な人ではありません。
誰もがデコボコしています。

アルボムッレ・スマナサーラ長老はこうも言っています。
…………………
呼吸ひとつ、食事ひとつとっても、人は死ぬまで地球に依存しています。
…………………

地球という大きなところから見ても、人は不完全です。相互依存の関係です。
人の営みから見ても、誰かがしてくれている仕事のおかげで
快適に生活できています。
また自分がする仕事によって、誰かの何かがよくなっています。
互いに補い合う相互依存の関係です。

互いに不完全でよいという目で世界を見ることができる。
弱い自分や不完全な自分を認めて肯定できる。

このように、いま心から思えなくても、このように思うことも選べるんだと
いうことを心に留め置く…それだけでも少し心が軽くなりますよ。

自分のことを不完全だと思うのは、自分をダメだと思うことではありません。
ありのままの自分でいいんだと思えるということです。

すると、これは悩んでも、これは悩むほどのことでもないと思えてきます。
そして、悩みが悩みでなくなるというところに行き着きます。

大掃除、まずは玄関を掃き清めたくらいでしょうか?笑


ペイル・ブルー・ドット


『ペイル・ブルー・ドット(Pale Blue Dot)』

NASAの無人宇宙探査機ボイジャー1号が
1990年に60億キロメートル離れた宇宙空間から撮影した地球を表現した言葉です。

写真の地球は、針の先ほどの「淡く青い点(Pale Blue Dot)」です。
興味があれば、検索してみてくださいね。

私は時折ボイジャーが撮影したこのペイル・ドット・ブルーの地球を思い浮かべます。
広大な宇宙の小さなひとつの星に生まれたひとつのいのちがここにあるのだなと、
あるのは「いのち」であり、「自分」があるという感覚が薄れてきます。

想像の及ばないほど広大な空間の中に存在していることのすごさに気づくと
日常の些末な出来事や悩み、心配事も、これは本当に悩む必要のあること
なんだろうか?本当に心配すべきことなんだろうか?
…どうってことはないように思えてきます。
何とかなる、何とでもなると思えてくるから不思議です。

圧倒的な大自然を目の前にしたときのように、自分の悩みをちっぽけなものに感じ、
悩みが悩みではなくなるのとよく似た感覚です。

そこまで思えないとしても「ペイル・ブルー・ドット」を思い浮かべると
気持ちが落ち着いてリラックスできます。
夜眠るとき目を閉じて思い浮かべるとぐっすり眠れますよ。


二人三脚


仕事で一人前になるまでは

自分の未熟さを痛感しました。
未熟さに奮い立ちました。
未熟さに落ち込みました。
未熟さを向上心に変えました。

一人前の仕事ができるようになると

自分の未熟さに鈍感になります。
未熟さにフタをします。
自分の未熟さを他人のせいにします。
未熟さを無力に置き換えます。

人生はどこまで行っても、未熟な自分と二人三脚。

なぜ、いつまでもどこまでも未熟な自分と二人三脚なのだろう?

「未熟」はまだまだ成長の余地があるというサイン。可能性のサイン。

そう捉えると、未熟な自分との二人三脚も歩きがいがありますね。


うなずきは何のサイン?


親も高齢になり、病院を受診する際、付き添うことがあります。
入院や手術の説明のときは、一緒に説明を聞いてほしいと
親からのリクエストもあり付き添います。
(一緒に聞くほうが親も私もお互いに安心です)

医師の説明を聞いているとき、父はうなずきながら聞いています。
頷いていたから理解しているのかなと後で聞いてみると
きちんと理解していないということがよくあります。

理解できない可能性があると父もわかっているから
一緒に話を聞いてほしいということなのですが。

父だけの話ではなく、人の話をうなずきながら聞くのは、
「話を聞いてますよ」というサインではあるけれど、
「理解しましたよ」というサインではないということです。

仕事でも、伝えたのに、伝わっていなかった。
説明したのに、その通りにしてくれていなかった。
教えたのに、できない。

このようなことはよくあります。

「伝えた」は、相手に「伝わった」ではない。
「説明した」は、相手が「理解した」ではない。
「教えた」は、相手が「できる」ではない。

このことを頭の片隅に置いておくと、
まずは、心のワンクッションになってくれます。

そのワンクッションによって、少し余裕が生まれると、
今以上に、相手をよく見て、相手に意識を向けて、
自分のかかわり方やコミュニケーションの工夫できる部分を
見出すことができるのではないでしょうか。

お互いに理解しあっている未来を見ませんか?


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