2021年4月
食べることと出すこと
最近読んだ本を紹介します。
医学書院のケアをひらくシリーズの一冊
『食べることと出すこと』頭木弘樹 著
難病・潰瘍性大腸炎の患者の闘病記です。
潰瘍性大腸炎は、安倍元首相の辞任の際クローズアップされたので
記憶にある方もいらっしゃると思います。
食べて出すことがうまくできなくなってしまったら
どういうことになるのか?という自分ではコントロールできないものによって
起きてくる事象や心理について書かれています。
著者の感性の豊かさを感じるユーモアにもどんどん引き込まれていきます。
ユーモアのある箇所以外ですが、一部引用します。
相手のことを詳しく知れば、異常に見えたことにも納得がいき、
変な人に思えたのがそうではないことがわかったりする。
もちろん、ひとりひとりのことをそんなに詳しく知ることはできない。
でもだからこそ「何か事情があるのかもしれない」
「本当はそういう人ではないかもしれない」という保留付きで人を見たいものだと思う。
そのわずかなためらいがあるだけでも大変なちがいなのだ。
「わずかなためらい」とは心の余裕であり、人への優しさのように感じます。
「ためらい」の捉え方が少し変わり広かった気がします。
病室というのは医師と看護師と患者の三者ともが
「感情労働(感情のコントロールをしなければならない労働)」に携わっている不思議な空間だ。
入院生活を何度も体験している著者の視点は、
一般の人はもちろん、医療従事者にも参考になると思います。
いろんな人に読んでいただきたいと思える良書です。
美しい光景を思い浮かべる
新型コロナは1年以上経っても収まる気配もなく
3度目の緊急事態宣言が出されました。
楽観的になりたい気持ちはあるけれど
この1年何が起きるかわからないという体験をしてきた今、
やはり楽観的になれないでいます。
コロナについては「楽観的」「悲観的」という二元論で考えても
あまり有意義ではないように思います。
こんなことを考えていると
ふと、あるコーチの言葉を思い出しました。
「美しい光景を思い浮かべてください」
今まで見た美しいと感じた光景や体験を思い浮かべます。
私は実家から眺める海や
沖縄・宮古島の東平安名崎の灯台から見る水平線、
海外旅行で訪れたいくつかの浜辺や森が思い浮かびました。
その後に、学生時代の友人たちと旅行した
北海道・富良野のラベンダー畑と延々と続く真っすぐな道や
友人の祖父母の家の広いお座敷で皆で食べた初体験のジンギスカンが浮かんできました。
お正月やお盆に、実家に家族が集まって
コタツを囲んでの憩いの風景なども次々に思い浮かびます。
美しい光景は、景色だけでないことに驚きました。
そのとき一緒にいた人たちと共有した場面や時(とき)も
私にとって美しいものになっているのです。
これは、前回のコラム『量と質』の<質的な「時」を感じる>ということにも
通じるものがあると思います。
こうやって今までの経験のなかでの美しい光景を振り返っていくと
自分のなかから美しいと感じるものが、どんどん溢れてきます。
自分のなかに豊かな時が、たくさんたくさん存在することに気づきます。
過去の美しい光景は、これからの美しい光景にもつながります。
起きることを、美しい楽しいこととして記憶しようと思えます。
そうすると、心の余裕を感じます。
その余裕が、仕事や日常で起きることを適切に判断する力になると思います。
「美しい光景を思い浮かべてください」
コーチのこの言葉自体が、私の美しい光景になっていると感じられて
とても豊かな気持ちになります。
言葉も美しいもののひとつですね。
あなたへのエール【等身大のありのまま】
等身大のありのままをスタート地点にして伸びていきましょう。
大きく見せたり背伸びしたりは地に足がついていません。
浮ついたところをスタート地点にしてしまうと、本当の成長は遠のきます。
あなたへのエール【確かなもの】
確かなものを感じにくい日々が続きます.
そんななかで、確実なものとして、あなたはそこにいます。
あなたがいてくれることで安心する人や喜ぶ人が必ずいます。
あなたは、誰かにとって確かな存在です。