2009年11月
やさしさの連鎖
ショッピング・モールでの抽選会。
私の前に並んでいた人がくじを引くと、3等が出ました。
抽選会のスタッフは、鐘を鳴らしたり、拍手をしたりと盛り上げようと
がんばっています。
他のお客さんはノーリアクションだったのですが、
当選したその人がとても嬉しそうだったので、
すぐ後ろに並んでいる私も、当たってよかったね♪ うれしい気持ちになり、
よかった♪よかった♪ と拍手しました。
私がくじを引く番です。
なんと私も同じ3等が当たりました~。
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スポーツクラブのスタジオ・レッスン。
レッスンで使うブロックを取りに行くと、
ある人が自分の分だけ取るのではなく、私の分も取って手渡してくれました。
ちょっとした気遣い、うれしいものです。
レッスンが終わると私は、
「一緒に持って行きますね」とその人のブロックも一緒に片付けました。
「ありがとう」
その人は笑顔で言ってくれました。
また別のレッスンでは、
始まる前に、椅子を収納しているワゴンを倉庫に片付けました。
(椅子を使ったレッスン。私が倉庫の近くだったため)
終了すると、ある男性がすぐにワゴンを出してきて、
みんなの使った椅子をワゴンに整頓しながら片付けていってくれます。
別の女性が、自分のマットと一緒に、私のマット(レッスンで使った)も
片付けてくれました。
「ありがとうございます!」
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喜び、うれしさ、優しさの連鎖。
そんなの当たり前!と流してしまわず、小さなことに喜びを感じる。
行為で表すと、行為で返ってくる。
日常の小さなことを喜べないと、大きな喜びもじゅうぶんに味わえない。
そう思うのです。
夜の読書
最近の夜の過ごし方は・・・
読書です。
読みたい本が山積みになっている状況を横目に、
今、手元にある本は年内に全部読んでしまいたい。
そこでどうしようか?と考えたのが、
「夜の静かな時間に読む」です。
ちょっと片手間に読もうと思っても、中途半端になってしまって
なかなか読み進めることができません。
たっぷり時間をつくって読むことにしました。
夜は個人コーチングが入っていることも多いのですが、
空いている夜の時間には集中して読んでいます。
すると、かなりの量を読み進めることができます。
と同時に、夜の静寂も手伝って、心が落ち着いてきます。
良質な文章に触れると、心も喜んでいる感じがします。
名著『人を動かす 新装版』や『道は開ける 新装版』で有名な
デール・カーネギーの『話し方入門 新装版』の中で、
“ 新聞を読むのをやめる、または今の半分の時間にして、
節約した時間を不朽の名作を読むことにあてよう ”(要約)と言っています。
新聞を読むのをやめました。
読みたくなったら、その都度買います。
新聞を読まなくなって、いつも心が落ち着いています。
テレビもそうです。
見たい番組以外、テレビをつけなくなりました。
テレビをダラダラ見なくなって、心が平穏です。
新聞を読む時間やテレビを見る時間を、本を読む時間に変えることで、
私自身の気持ちの変化を味わっています。
何よりも1冊読み終えるごとに小さな達成感があります。
本の山が丘に変化してきました。
やっと分かった!前方後円墳
妹の家の近くに、古墳公園があります。
その公園にある古墳の説明を読んで、
前方後円墳とはどういう意味か?
この歳になって、やっと分かりました~。
古墳の形には、
『方墳』(四角形)と『円墳』(円形)があるそうです。
日本でメジャーな前方後円墳は、方墳と円墳が組み合わさったもの。
説明では、方墳で儀式を執り行い、円墳がお墓だったとのこと。
前方後円墳の写真では、上方が丸い円、下方が四角と、
鍵穴のように撮影されているものが多いので、
“前が円で、後ろが四角”というふうに見るものだと、てっきり思い込んでいました。
しかし、『前方後円墳』ですから、“前が四角、後ろが円”となります。
ここまで書いて気がついたのですが、
“上が前、下が後ろ”というのは私の思い込みではなかろうか??
世の人は、写真を見て、
“下が前、上が後ろ”と自然に受け取っているのではなかろうか??
新たな疑問が生まれました・・・。
いっそのこと、縦長の写真でなく、横長でお願いしたい・・・。
前方後円墳は、前方後円墳としか学校で教えてもらっていないと思っていましたが、
当時説明してもらったにもかかわらず、覚えていないだけのような気もします。
とにかく、前方後円墳とは、“前が四角、後ろが円”という意味だと、
やっと分かって、スッキリしました。
喉に刺さった魚の小骨が取れたような・・・
こういう表現をすると、私の喉は小骨だらけやん!となりますが。
大昔の前方後円墳。
意味が分かったことで、時間を越えて、少し身近に感じています。
母校でコーチング
先日、母校の中学校を訪れました。
『先輩の話を聞く会』で中学3年生にお話させていただくことに。
当初は10分ほど話す予定でしたが、
学校側の計らいで50分いただき、コーチングを交えながら、
将来に希望を持ってもらえるよう、私なりに話しました。
どこの中学でもなく、自分の卒業した中学校で後輩の子どもたちに、
コーチングができるなんて、こんな幸せなことはありません。
自分が中学生の時、想像すらしたこともありませんでした。
当時の私は、コーチングを仕事にするなんて思ってもみませんでした。
というより、当時はこんな仕事はなかったわけですから。
こんな有難い機会に恵まれ、ほんとうに嬉しく思っています。
いろいろ考えた末、学校の先生だったらしないであろう内容に
思い切ってチャレンジしました。
コーチングの考え方をベースに置いて、
オリジナルのイメージワークを行いました。
私のヴィジョンでもあるテーマが、イメージワークという形で創出されるとは、
思ってもいなかったのですが、自然に溢れ出てきたのです。
子どもたちも50分という短い時間の中で、それぞれに表現してくれました。
子どもたちの秘めた才能のたね(さいだね)にワクワクしました。
子どもたちの未来の可能性にそっと触れた感触が今も残っています。
私の目に映る子供たちは、
さいだね(才能の種)で満ち溢れ、希望の光のごとく輝いていました。
後輩のみんな、すてきな時間をありがとう!
そして、もうひとつ嬉しかったのは、
他校で教師をしている友人(同じ中学校の同級生)も見学に来てくれたことです。
彼女に見守られながら、
母校の子どもたちと豊かで楽しい時間を過ごすことができるなんて、
とことん私は幸せものです。
また5年後に会いましょう
先日、久しぶりに母校を訪れました。
所属していた京都女子大学合気道部の創部45周年記念演武会。
5年毎に行われる演武会は、同窓会でもあります。
今回は、インフルエンザで来れない同期や体調を崩した同期もいて、
私ともう一人の同期との二人で参加しました。
会場には、ひとつ下の後輩二人と二つ上の先輩三人も来ていて、
20年経っても変わらないねー、と懐かしい再会でした。
演武する後輩たちの姿は、真摯で清々しいものでした。
当時の私たちもきっとそうだったのだろうと思います・・・思いたい、です。
人の世代は変わっていっても、
この部に脈々と流れるものは変わっていないようです。
創部当初から変わっていないのかもしれません。
練習はしんどかった、いつも文句ばかり言ってた、
けれど、楽しかった、充実していた、胸を張って言えます。
そう言えるって、なかなか幸せです。
私よりももっともっと先輩方も参加されていて、歴史を感じました。
45年も続く合気道部の一員だったことに改めて感謝です。
「また5年後に!」
笑顔でそれぞれの人生に戻っていきました。
秋晴れの海
先日、実家の近くを母と愛犬ルルと一緒に散歩。
この日はさわやかな秋晴れ。
気持ちよく歩きました。
ヨットで海を走るのも気持ち良さそうです。
眺めているだけでも気持ちいいものです。
穏やかな景色に、気持ちも穏やかになります。
世界は分けてもわからない
分子生物学者の福岡伸一氏の著書を続けて2冊読みました。
世界は分けてもわからない (講談社現代新書)と生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
著書が話題になっていることもあるのか、
最近テレビや雑誌での福岡氏の露出度が高いような気がします。
福岡氏の考え方は、
コーチングの捉え方の新しい視点を私に投げかけてくれました。
世界は分けてもわからないから一部抜粋します。
“生命現象に「部分」と呼べるものはほんとうは存在しない。
ある部分(パーツ)がある機能を担っているとする考え方は、
鳥瞰的な視点からの、マップラバーによる見立てにすぎない。”
“世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。”
「心臓はこんな機能を担っていますよ」
人体全体を鳥瞰する地図を目の前にして、心臓だけを取り出して
単に“見立て”ているだけです。
心臓だけが生命現象を担っているのではない。
だから、人体に「部分」は存在しない。
人体全体で生命としてはじめて活動できる、ということでしょう。
また、私たちは他の生物のいのちを頂いて生きています。
人間を他の生物の生命現象と分けることもできない、ということでしょう。
しかし、分けないことにはわからない、のです。
ミセス10月号の対談コーナーで、福岡氏は、
「でも、それを繰り返すことが世界を認識することだ、ということがわかったわけです」
とおっしゃていました。
コーチングも同じです。
「傾聴する」「承認する」「質問する」・・・など、
部分に分けて、「傾聴するはこういうスキルですよ」と取り出して説明します。
コーチングも分けないことにはわからない。
しかし、分けてもわからない。
でも、それを繰り返すことがコーチングを認識することだ、ということがわかったわけです!
私の中では、かなりスッキリしました。