2008年8月

母のちぎり絵


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母の趣味のひとつは、ちぎり絵です。
細かい作業や根気のいる作業が好きで得意。
うらやましいかぎり。
「好きなのを持って帰っていいよ」
いつの間にやら、作品が増えていました。
母のお気に入りらしき作品はあえて避け、
選んだのがこの作品。
(私の撮影技術がいまひとつです。
実物はもっときれいなんです)
早速、額を買ってきて飾ってみました。
額が地味すぎました。
良く言うことにします!落ち着いた感じ “シック”。
私も絵を描くのが好きです。
そういうところは、母に似たのかもしれません。


偶然の人との出会い 


先週、ある研究会に参加。
様々な議論のひとつとして、
「偶然の人との出会い」について、南方熊楠の「縁起」の考え方が採り上げられました。
「偶然の人との出会い」に熊楠の「縁起」という視点を掛け合わせる。
私の好奇心が刺激されました。
今回は、熊楠の縁起の考え方に触れて得た私の気づきについて書いてみたいと思います。
人との出会いは偶然訪れる。
実体験から、私もこの考え方には賛同します。
偶然、人に出会う。
この前段階に“あること”が起きるからこそ、偶然の人との出会いがあるのではないかと思います。
“あること”とは、
自分自身が「変わりたいと思う」願望ではなく、「変わると決める」決意するということです。
変わると決めた人は、変わるために必要な人と出会います。
また、その人を通じて必要なことに出会います。
変わりたいと思っているだけでは、出会いません。
これは私だけでなく、個人コーチングの多くのクライアントさんがそうだからです。
「変わりたいと思う」のは頭(思考)。
「変わると決める」のは心(自分の核となる部分)。
自分が変わりたいと思っている時は、意識に上がってくるので、すぐわかると思います。
自分が変わると決めた時は、無意識の場合が多く、決意を意識することは滅多にないように思います。
これが、頭と心の違いではないでしょうか。
みなさんも人生や行動が大きく変化した時のことを振り返ってみると、このような体験をされているかもしれません。
肉体的には熊楠は今この時代に存在しないので、私が熊楠と出会うことは不可能です。
けれども、熊楠の縁起という考え方を通じて、時間の概念を越えて、熊楠と出会っているように感じます。
※南方熊楠については以前にも書いています。興味ある方はご覧ください!
  日々これ好日 http://www.a-relation.com/diary/2007/08/post_214.html


世代のギャップ


お盆休みのある日、
3歳になる甥っ子(妹の子ども)が、ペットボトルのジュースを飲もうとした時のこと。
甥っ子の小さい指でペットボトルを開けようとしたその瞬間、あるモノが落ちました。
私    「あっ!フタが!」
甥っ子 「あっ!キャップが落ちた!」
少し間があって、
妹    「世代のギャップを感じるねぇ~」
命名
「フタとキャップ事件」
気持ちだけは、若いつもりでいました・・・
この「フタとキャップ事件」で、3歳児のフレッシュさを目の当たりにしました。
甥っ子とは世代が違う、という現実を受け入れて生きていこう!
それに、世代のギャップを感じられてよっかた~。
世代のギャップと気づかなかったら、コミュニケーション・ギャップにつながるわけです。
甥っ子とは、これからもいっぱいおしゃべりしたいですからね。


2008年8月21日開催 ストレス・マネジメントのためのコミュニケーション・セミナー 【コミュニケーションのスタイル】参加者の感想


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2008年8月21日木曜日、ストレス・マネジメントのためのコミュニケーション・セミナー “コミュニケーションのスタイル”を開催しました。
参加いただきました皆様の感想をご紹介します。

●お互いを理解し、歩み寄ることがストレスの軽減につながるということが認識できました。

(O.Y様 看護師)

●人の行動から、その人が何を大切にしているから、そういう行動になっているのか考えられた。

(H.Y様 看護師)

●いろんな人がいるということを認めること、私も相手も大事だということに気づきました。

(H.Y様 看護師)

●コミュニケーション・ギャップに気づいた者が、そのギャップを埋めていくと良い。人の可能性を信じ、関わってみようと思う。

(E.H様 看護師)

●人に対して、「なんでそうなん?!」と思ってイラッとしてしまうことが近頃とても多くなってきていて、職場でも顔に出ていると言われることが多かったのですが、“人は一人ひとり違う”、“誰も間違っている人はいない”という考えを意識しただけでも勉強になりました。楽になりました。

(E.E様 看護師)

●自分を知ること、他者を知ろうとすることも大事である。プライベートよりはチーム編成などに活かしたいと思う。

(若井敏彦様 看護師)

●スタッフの育成に対して「ほめる」ことを実践してきたが、今はちょっと疲れ気味です。これを機に、スタッフそれぞれのタイプを理解して、能力を伸ばしていけるようサポートしていきたいと思います。また、一人ひとりの可能性を大事にしていきたいと思います。白黒つけずに、やさしくなれるように接していければと思います。

(A.Y様 看護師)

●“人は一人ひとり違う”ということをわかっているつもりでしたが、今回、コミュニケーションのスタイルを知ることで、よりストーンと心に落とすことができました。日常的に意識してみます。

(T.A様 会社員・介護福祉士)

●人はそれぞれ色々なタイプにわかれるが、その中に同じものを持っているので、歩み寄りがあれば誰とでもいい関係をつくれると思う。

(M.K様 看護師)

●人との関わり方がわかったことがよかったです。職場の人に実践です!

(S.Y様 看護師)

●職場での人間関係でストレスを感じない方法を見出せたと思うので、役立てていきたいと思います。

(川内智淑様 看護師)

●相手のタイプを知って、うまくいかない原因も分かって、楽になれた気がします。

(S.K様 看護師)

●スタッフと関わると時、相手がどのタイプかを知って関われば、相手を伸ばすことができると思うので、活用しようと思う。

(A.K様 看護師)

●皆の特徴をつかんで、よいコミュニケーションを図っていこうと思いました。

(Y.S様 看護師)

●スタッフの声かけやサポートに役立てたい。

(I.T様 看護師)

※次回は9月25日(木)開催です。
→詳しくはこちら(チラシPDF)をご覧ください。


家族でドライブ


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お盆休みは、実家で過ごしました。
特に目的を持って出かけるでもなく、家族でドライブ。
みさと天文台まで行ってみました。
昼間なので星は見えません・・・
行くならやっぱり夜でしょ。涼しいしね。
写真は天文台周辺からの風景です。
空が、雲が、近くにあるように見えます。
夜は、星に手が届きそうに見えるのかな。


奈良公園の鹿


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なら燈花会が始まるまで時間があったので、奈良公園をゆっくり散策していました。
ゆっくり歩いていると、肩から提げたバッグに何かが当たる感触。
写真の鹿が、私のバッグに鼻を押し付けていました。
私と鹿の目が合うと、
鹿  「バッグの中のもん、出して!」
私  「・・・・・」
鹿  「はよ、出さんかい!」
私  「・・・・・」
鹿  「鹿せんべいのおばちゃん見てるやんか!はやく!」
カツあげに遭いました。
それも鹿に。。。
そういえば、昔、広島・安芸の宮島の鹿にもカツあげされました。
焼きたてのもみじ饅頭を入れた袋を手に持っていて、袋ごと持ってかれました。
宮島の鹿は容赦なかったな~。
奈良公園のこの鹿は、私の反応の鈍さに呆れたのか(何も食べ物持ってなかった)、
急に耳をグリッと動かし、他のカツあげ情報をキャッチした様子。(写真がその様子)
とまあ、あまりの暑さに、私の妄想はピークに達しました。
 


なら燈花会


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奈良の燈花会に行ってきました。
夏の夜、こんなふうに彩られるのもステキですね。
欲を言えば、手前のロープが無いほうがいいですね。
裏を返せば、写真を撮る力量の無さが露呈しただけ。アングルが下手すぎ。。。
だって、ロープで囲っている所はそんなに多くないし、他の場所から撮ることだってできたはず。
とまあ、あまりの暑さに、私のセンスの無さはピークに達しました。


神は細部に宿る 押井守監督作品 『スカイ・クロラ』


今年の夏、観たい映画は・・・ずばりアニメです!
宮崎駿監督 『崖の上のポニョ』 http://www.ghibli.jp/ponyo/ と、
押井守監督 『スカイ・クロラ』 http://sky.crawlers.jp/tsushin/ です。
私にとって、アニメの夏!
早速、押井守監督 『スカイ・クロラ』を観ました。
日本国内よりも、海外での評価が高い監督です。
アメリカや海外のSF映画を変えたと言われる 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は、
今観ても革新的です。
ウォシャウスキー兄弟監督 『マトリックス』は、この映画からインスパイアされたという話は、
あまりにも有名です。
『スカイ・クロラ』は、映像・音楽・ストーリーどれもが素晴らしい映画です。
詳しいストーリーは知らずに観ました。
知っているのは、永遠の命を持つ子どものままの姿をした“キルドレ”たちが、
ショーとしての戦争をする・・・。
オープニング・ロールの基地を目指して飛行する雲の上。
このシーンを見ているだけで、うっすらと涙。
直感的にラストを予感したかのようでした。
映画自体は、すべてのものが丁寧につくられています。どこにも手抜きなし。
まさに、“神は細部に宿る”。
スクリーンに映し出されている以外の音。
たとえば、部屋から人が出て行きます。
スクリーンで展開される映像は、その部屋に残っている人たちの言動です。
しかし、部屋を出る人がドアを閉める音は、私たち観客も聞きます。
映像にドアを出て行くシーンはないけれど、ドアを閉める音がする。
スクリーンに収まっていない部分も丁寧につくられています。
あっ、そうか、そうなんだ!
スクリーン以外にもスクリーンがあることに気づきました。
それは、“観客の心のスクリーン”です。
奇跡の大発見です。
映画を観るのは、心のスクリーンで観ているということ。
心のスクリーンに映し出すからこそ、心が豊かになっていくということ。
押井守監督のすごさ、偉大さを実感しました。 
この作品は、全体的にキルドレの空虚感が漂っています。
それなのに、最後に私の中から出て来た思いは、力強いものでした。
“人生は味わい深い”。
私たちは、自分の人生を自分の力で、味わい深いものにすることができる。
そんなメッセージを受け取りました。
味わい深い映画です。
残るは、ポニョだ!
宮崎駿監督は、私にどんな発見をさせるのか??


体験の積み重ね


料理の最中、お鍋の熱湯を手首にかぶってしまいました。
すぐに水で冷やし、事なきを得ました。
長時間水で冷やしたのが功を奏したのか、ちょっとジンジンしただけで、痕も残りませんでした。
実は、中学3年生の時、似たような体験をしました。
高校受験の前日、制服のスカートにアイロンをかけていました。
明日の受験のため、気を引き締めようと思ったのかどうか・・・遠い記憶です。
丁寧にスカートにアイロンをかけるついでに、
ご丁寧に左手の甲にもアイロンをかけてしまいました!
「あつッ!!」
すぐに流水で冷やせばいいものを、何を思ったのか、そのままアイロンをかけ続けました。
「アイロン終わってから冷やそう」
15歳の私は、ゆったりゆっくり。 ある意味、大物です(笑)
翌日は、激痛でした。
ジンジン、ジンジン、痛くて痛くて、左手がたまらなく痛い。
それでもなんとか受験には無事合格しました。
やけどの痕は、今も薄く残っています。
長い間、アイロンの三角形の型がついていたほどです。
ここで何が言いたいのかというと、やけどのことではありません。
“それまでの体験よって、その後の行動が変わってくる”とういことです。
当時の私は、それまで大きなやけどを体験したことがありませんでした。
家族にすぐに話して、どう対処すればよいか聞けばよかったのですが、
そういう考え自体持ち合わせていませんでした。
知識として、流水で冷やす、ということだけ知っていました。
いつ冷やすとか、どれくらい冷やすとか、まったく考えてもいませんでした。
今回熱湯をかぶった時は、25年前の体験を踏まえて、すぐに対処しました。
体験の積み重ねが、さまざまな障害を乗り越えるツールになります。
特に傷みを伴った体験は記憶に残ります。
しかし、小さな子どもは体験の積み重ねをこれから始めます。
体験の層はまだまだペランペランの薄さです。
いろんな体験を通じて、失敗したり、うまくいったりしながら、学習します。
そこから、危機を回避したり、障害を乗り越える術を身につけていきます。
新入社員も同様です。社会経験はこれからです。
仕事での体験が少ないため、もちろん失敗もたくさんします。
親は子どもの、先輩社員は後輩社員の、
体験の積み重ねのサポートをするつもりで接するとよいのではないでしょうか?
子どもの、後輩社員の、することなすことに目くじらを立てるよりも、
子どもの体験が、後輩社員の体験が、どんどん増えていくように関わってみてはいかがでしょう?
あなたがどう関わるかで、彼らの体験の質が変わってくるかもしれません。
前回のコラムで表現すると、
“体験も失敗も無駄なものはひとつもない”
無駄なものになるとすれば、体験や失敗を、本人がどう積み重ねるか、
親や先輩社員がどう関わるかどうかにかかってくると思います。
その積み重ねや関わりによって、体験が活きたものにも無駄なものにもなると言えるでしょう。


無駄なものは何ひとつない


昨日は見事なマジックアワーでした。
マジックアワーとは、映画・写真用語です。(三谷幸喜の映画で初めて知りました)
日没後の太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、
しかし最も美しい時間帯を指すのだそうです。
昨日はそんなマジックアワーを体験。
マジックアワーの光景を見ながら、
映画 『ザ・マジックアワー』のメイキング番組の中で、三谷幸喜がステキな話をしてくれていたのを思い出しました。

これだけすばらしいセットが出来ると、僕なんか貧乏性ですから、すべての壁、すべての小道具を撮らなければ、もとが取れないんじゃないかなと思うわけですよ。
その話をしたら、あるベテランの職人と呼ばれるスタッフの方が、こんなことを話してくれました。
「映画には無駄なんて何ひとつないんだよ。
ある意味、無駄だらけかもしれない。映らないものもたくさんあるかもしれない。
でもそれは実は無駄ではないんだ。
なぜならば、映像には映らなくても、俳優さんの目には映るかもしれない。
あの壁とか、この建物とか、絵には入らなくても、俳優さんの目には入るかもしれない。
それによって、俳優さんの芝居も変わっていくかもしれない。
そう考えると、映画の世界に無駄なものは何ひとつないんだよ」

じーんときました。
一見、無駄に見えるものも、無駄ではない。
スクリーンという平面の世界を、
立体的に見せるのは、感じさせるのは、俳優さんがその場で体感していることそのものです。
あの映画も、この映画も・・・
そこには、私たちが実際に目にしていないものもたくさんあるけれど、俳優さんを通じて感じることができるということです。
あらゆる関係がお互いに作用し、作品が生まれる。
映画の世界に限らず、どんな世界でも、私たちを取り巻くすべてに共通することだと思います。
今まで無駄だと思っていたことも、別の角度から見ると、無駄ではないかもしれません。

さいだねブログもご覧ください。


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