2011年3月


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ユキヤナギが
満開です。
春を感じます。
いろんな
イキモノの
いのちを
感じます。
生まれるいのち

なくなるいのち


関わる側の姿勢


よく親が口にする言葉。
「この子はほめると、すぐ調子に乗る」
ある人が口にした言葉。
「ほめて調子に乗せて、伸ばす」
この二つの言葉の「あいだにあるもの」、もしくは「違い」があるとしたら、
それは、
この言葉のもう一歩先、「ほめる」という言動の先に、
意図するもの、見ているものが、あるのかないか。
「ほめる」だけで終わると、子どもが調子に乗って見える。
ほめて、調子に乗せて(モチベーションを上げて)、
もう一段階ステップアップへとつながる関わりを意図する。
子どもに関わる側の言動、その先に目的があるかどうか。
関わる側の言動に、子どもが翻弄されるだけになっていないかどうか。
関わる側の姿勢も大事です。


犬と子どもの距離


実家の愛老犬ルルは、
甥っ子が近寄ると牙を剥いて威嚇します。
だから、ルルを撫でることもできない状態でちょっと可哀想。
甥っ子の不安定な動作や、突然大声を発してテンションが上がる様子に、
いつ何時、災難が降りかかってくるかわからないのが嫌なのでしょう。
赤ちゃんの時はこんな感じでした。⇒ 2005年の日記 『ケンカ別れ』
しかし、甥っ子が成長するにつれて、
ルルと甥っ子の距離が狭まってきているのも確かです。
甥っ子の動きがだんだん落ち着いてきたのをルルも感じているようです。
そして、今年のお正月は明らかに違いました。
寝ているルルの側に近寄って、
甥っ子 「触ってもいい?」
ルル  「・・・・・・」 (近寄っても逃げ出しません)
甥っ子は、牙を剥いて威嚇されるかもしれないと不安げでしたが、
勇気を出して、寝ているルルの背中を撫でました。
まるで大切なものに触れるかのように優しく~。
老犬ルルの背中を優しく撫でる甥っ子は、ひとり言のようにそっとささやきました。
「ルルにも骨がある・・・」
私は何ともいえない穏やかさと、静かで深い喜びに満たされことは言うまでもありません。


感謝の手紙


東日本大震災の3月11日。
一通の手紙が私の元に届きました。
昨年、コーチング・ワークショップでともに過ごした
ある中学校の生徒さんからでした。
同封の先生からの手紙には、
卒業する3年生のあいだで今までお世話になった方々のことが話題になり、
感謝の気持ちを表す手紙を書くことになったそうです。
ワークショップは随分前のことですが、
この生徒さんは、印象に残ったことや感じたことを、
素直に、そしてありのままに表現してくれています。 
しかも、“拝啓” からはじまり、“敬具” で終わる形式にそって書かれています。
定型書式ではじめて文章を書く緊張感。
素直に自分の感じたことを表現するのびのび感。
二つの感覚が仲よく乗った心のこもった手紙に、じーんと感動しました。
手紙をくださった生徒さんをはじめ、ワークショップでともに過ごした3年の生徒さんたち。
彼らはこれからの日本の復興を支える、日本の世界の未来を担う人たちです。
最澄が残した言葉
「一隅を照らす、これ国の宝なり」
日本は今もこれからも光に満ち溢れています。
私たちにできることはたくさんあります。


つながり感


ここ数年、コーチング研修でお世話になっている大阪のある総合病院。
この病院の被災地支援の医療チームが、地震発生当日の11日、被災地に派遣され、
そして今日大阪に戻ってきた、というニュースが報道されていました。
私は、研修を受けてくれるスタッフの方々としか直接の関わりは持てませんが、
いつもスタッフ皆さんが関わるすべての人とのつながりをイメージしながら、
意識しながら、コーチングを通じて、関わらせていただいています。
誰もがつながっている。
全てがつながっている。
そして今、そのつながり感がいっそう強くなっています。
自分に責任をもつ、身の引き締まる思いです。


いま


いま、私にできること
平安な心で、粛々と生きる。

勇気と希望の持てる映像が届きました。
http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc
※震災時の映像は含まれていません


読み方の違い?


羽生善治さんと茂木健一郎さんの対談本  『自分の頭で考えるということ』
この中で、

何か気になる単語があったりするとグーグルやウィキペディアで調べてしまいます。
それを読んでいる時、たしかに思考は広がるけれど、広がることと考えることは違いますもんね。

という茂木さんの言葉に、
インターネットを通じての情報を、私はどういう位置づけにしていたのか明確になりました。
それは、“知識が増える”という位置づけでした。
“知識が増える” と “思考が広がる”
似ているけれど、何かが違う。
その違いをはっきり言葉にできませんが、霧のかかった中で発見したのは、
読んでいる時の状態が違うように思います。
“知識” と “思考”
ここに、読み方の違いが表れているのではないかと思います。
私は、知識を増やす 読み方をしている。
(推測ですが) 茂木さんは、思考が広がる 読み方をしている。
読み方が違うということは、脳の使い方が違うということなのでしょうか。(茂木さん的には)
私にとっては、面白い発見です♪
さらに、“広がる” ことと “考える”ことも違うわけです。
大きな違いがある。
違いはあるけれど、両者をまったく切り離して考えることもできない・・・
ということで、
考えることは、面白い発見の連続です。
しかし、
考えすぎると、わけ分からんぞ~ の連続です。


しだれ梅


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近所のお寺に咲く
満開の “しだれ梅”
上品で華やかなその佇まいは、お庭と見事に調和しています。

しだれ梅のような佇まいの人。
しだれ梅のような調和の
とれた人。

しだれ梅のような人は、きっとどこかにいるはず。
あなたのそばにも、わたしのそばにも。


空が見えたとき


ずっと前の私には、空がありませんでした。
空がなかった、というか、空はいつも変わることなくあるのに、
私には、空が見えていませんでした。
まったく見ていませんでした。
視界に入っていたはずですが、私の目に空は映っていませんでした。
下ばかり見て歩いていたわけでもないのですが・・・
あるとき、空があることに気づきました。
世紀の大発見のように、私は、私の空を発見しました。
あるときを境に、私の生きている今を発見しました。
私の空が現れたとき、私の生きている今、が同時に現れたのです。
そして、
「生きてるんだな、わたしって」
生きる意味はわからないけれど、今、生きている、そのことはわかりました。

~**~ 今日の日記は、感覚で読んでいただけると嬉しいです ~**~


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