2007年10月
11月3日の朝日新聞で紹介されます!
今日はお知らせです。
今週11月3日の朝日新聞 「 be」 土曜版に、私、浜端が登場します!
「be」土曜版ビジネスのキャリアページのコラム 「こころの定年」で紹介されます。
(顔は出ませんが、名前だけでなく、年齢もしっかり掲載されます)
一定期間、組織で働いた後、転身した人たちのインタビューを通じて、
いい顔で働く人たちの例を紹介していく、という主旨で連載中のコラムです。
朝日新聞を購読されている方は、ぜひご覧ください~。
八つ墓村なわんこ
とあるお宅の前。一匹のわんこと目が合いました。
目が合った、というより、そのわんこの奇怪な姿を無視して通り過ぎることができなかった。
そういうことです。
そのわんこは、頭に白いヒモを巻き、両耳に一本ずつ、白い棒らしきものを立てています。
耳の矯正なのでしょうが、
まるで、八つ墓村のたたりじゃ~です。
白いハチマキに、ロウソクが二本立っているように見えました。
ドン引きしている私に、そのわんこは、
「遊んでよ~、遊んで!」
行動は、ごく普通の子犬と同じです。
私は心の中で、そのわんこにやさしく話しかけました。
「アンタ、子犬は子犬でも、八つ墓村なドーベルマンやねん。
遊んであげるには、さすがに私でも勇気がいるよ・・・」
カッコ良くとんがった立派な耳になりますように!
私が目撃したのとは少し違いますが、
耳の矯正中のドーベルマンの画像を見つけました。
↓
http://www.dogoo.com/database/dogzukan/html/dz452dobe.htm
美輪明宏と中村中
昨日のNHKの 『SONGS』 は、中村中が出演していました。
昨年、ヒットした“友達の唄” に続いて、
中村中自身が十代の終わりに作ったという “さよなら十代” を歌いました。
“さよなら十代” を歌い始めた中村中の姿に、
どうしても、ある人物の姿がオーバーラップするのです。
それは、タートルネックのセーターにスラックスというシンプルな服装で、
“ヨイトマケの唄” を歌う美輪明宏(当時、丸山明宏)の姿です。
時代は違えども、奇しくも同じ放送局NHKでした。
歌の内容はまったく違いますし、曲調も違います。
しかし、なぜか二人の姿が重なる・・・。
美輪明宏と中村中。
ふたりとも性別を超えた存在のように感じます。
性別や人間という枠をも超えたところから、
大切なメッセージを語りかけるように、伝えるかのように、歌う姿に感動しました。
不眠の辛さ
先日のNHKクローズアップ現代は、“不眠”についてでした。
各製薬会社が続々と、不眠改善薬を発売しています。
CMもけっこう目にします。
はじめは、男性をターゲットに売り出したそうですが、
フタを開けてみれば、購入者は女性が圧倒的に多い、という結果なのだそうです。
不眠の症状は、大きく別けて3つ。
1.寝つきが悪い
2.熟睡感がない
3.夜中に目が覚める
普段の私は不眠とは縁遠いと思うのですが、
9月初旬、朝起きると首が痛い日が2,3日続きました。
枕が合わなくなってきたのかな?
暑さの疲れが、とうとう首にきたのかな?
その時だけで、今はなんともありません。
でも、また同じように痛くなったら、しっかり対処しないと
大変なことにならないとも限らないですよね。
私の首の痛みは、今日のテーマの“不眠”と、あまり関係ないですね。
テーマに戻ります。
電話セールス
最近、電話料金が安くなる、という内容の営業の電話がよくかかってきます。
相手は、こちらの名前を確認することなく、
今話せる状態かも確認することなく、勝手にしゃべり出します。
「奥さま、いらっしゃいますか?」と聞かれるので、
「いません」と答えます。
たいていの場合、これで終了です。
私は、奥さまでもないし、ご主人さまでもないので、嘘ではありません。
「いるか」 「いないか」を聞かれているので、
その質問に対して、聞かれたことはきちんと返答しています。
こちらの答え方や口調で、これ以上話し続けても無駄だなと判断されているような・・・
もっと会話が広がるような質問や、安心感のある話し方だったら、
私もまだ聞く耳を持つでしょう。
愛想なく電話を切らないでしょう。
ノルマのごとく、
笑顔で声を出すほど給料もらってません!のごとく、
表情のない声です。
マニュアルを棒読みのような時もあります。
感情はどこかに置き忘れてきたのでしょうか。
仕事を楽しんでないのが伝わってきます。
そういう人と話し続けたいとは思わない。
そういう人から何か買いたいとは思わない。
こちらは、守りを固めます。
日ペンの美子ちゃん
マンガ雑誌などに掲載されていたマンガ広告 『日ペンの美子ちゃん』
今、5代目の美子ちゃんが活躍中です。
http://www.gakubun.co.jp/miko.html
私が愛読していたのは、1代目の美子ちゃん。
ベレー帽がトレードマークだったような。
カッコいい男の子も登場していた。(うすぼんやりとしか思い出せない・・・)
思い返せば、斬新でした。
記事広告でもなく、マンガ広告。
ストーリー性のある広告。
時代の先を走る広告でした。
10歳代できれいな文字が書けるようになるのは良いことです。
教育という視点も持っていたように感じます。
関係ないけれど、愛読していた 『りぼん』のホームページで、
少女まんがアーカイブというのを見つけました。
http://www.s-woman.net/mangaar/
たまらなく懐かしい~。
当時は、少女マンガに登場するような細っこい男の子なんか存在しなかったけれど、
最近は道ですれ違っても、「今の子は、男の子??女の子??」
中性的というか、男の子が小ぎれいになってしまっています。
イグ・ノーベル賞 牛ふんからバニラの香りの成分抽出で受賞!
今年のイグ・ノーベル賞は、日本からも受賞者が出ました。
化学賞の受賞です。やりましたね~!
牛ふんから、バニラの香りを抽出する・・・
大真面目な研究だったのでしょうが、堂々とイグ・ノーベル賞を獲得しました!
他にも各分野、ユニークな受賞ばかりです。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200710050006.html
イグ・ノーベル賞については、「さいだねブログ」でも書いていますので、
お時間あれば、のぞいてみてくださいね。
http://d.hatena.ne.jp/saidane/20071002/p1
私もそうですが、科学とは無縁だと感じている人にとって、
科学の持つ面白さを知ることができ、科学の持つ面白さを笑ってしまおう、
というイベント的存在が、このイグ・ノーベル賞です。
科学を身近に感じられる、そんなひとときを味わえる賞です。
セーラー服とグリコの看板
先週、高校時代からの友人と二人で、
これまた、高校時代からの友人の結婚のお祝いを選びに行きました。
お祝いを選んだ後、道頓堀の近くのビルにある居酒屋で、グリコの看板を眺めながらの食事。
(この写真は、友人がトイレに行っている間に、素早く撮りました)
グリコの看板のバックには、
海遊館やドームもある。
まじまじと見たのは初めて。
しばし、友人と二人で看板を眺めていました。
この友人は仕事柄、パンツ姿が多い人です。
スカート姿が思い出せません。
スカート姿は、高校時代にまでさかのぼります。
セーラー服姿。
彼女のスカート丈やソックス、スカーフの結び方まで鮮明に憶えています。
この記憶力、ちょっと怖いですねー。
結婚を控えている友人のセーラー服姿も思い出せる・・・。
中学時代からの他の友人たちのセーラー服姿も思い出せる・・・。
思い出せないのは、自分のセーラー服姿。
きっと、誰か憶えてくれているよね。
私の失敗なんか思い出さなくていいからね。
初々しいセーラー姿を思い出すように。
そこんとこヨロシク。
手本と見本
今日は、五木寛之の『他力 (講談社文庫)』の中の
“人の手本にはなれないが見本にはなれる”の一部を ご紹介します。
高光大船という真摯な念仏者でみんなから尊敬されていた人物が北陸にいましたが、彼の言葉で印象的なのは、自分は人のお手本にはなれない。
だけど見本ぐらいにはなれるだろう、という言葉でした。
手本だと、それに習おうとするけれども、見本はおいしそうとかまずそうとか、見る側の立場でいろいろ言える。
私は健康とか宗教について書いたり話したりしていますが、これらは自分の体験から得たことを直感にしたがって書いたり話したりしているわけで、ひとつの手本ではなく、見本として、みんながとらえてくれればと、思っています。
笑ってくれればいいし、感心したり、共鳴してくれればけっこうな話で、ばかにされても構わない、と。
“手本” と “見本” という視点。
この学びコラムでは、コーチングやコミュニケーション、サービスについて、
私の体験から得たことを書いています。
ここで書いていることは、見本です。
私の感じたことや考えたことです。
ああ、こういう考え方もあるのだなぐらいに受け止めてもらえれば、と思っています。
手本には、正しさを求めます。
正しさを求めるのだったら、やめておこう。
私は、お手本を求めることを手放しました。
コーチングの
「誰一人として、間違っている人はいない」
この考え方に立ち返ると、
手本とするより、すべてを見本と捉えると、
そこに自分の考えを重ね、考える力がつき、視野が広がっていきます。
広がりと深み、そして心の豊かさも、少しずつ積まれていくように感じます。
手本にすると、どうしても、誰かと自分を比較してしまいます。
確実に、手本と自分を比較します。
手本ばかり求めていると、自分の外に答えを求めてしまいます。
自分で考えることをやめてしまいます。
だから、いつまでも、本当の自分がわからない。
居心地の悪い自分のままです。
見本にすると、正確に手本をなぞるのではなく、自分は何をしたいのかを優先します。
見本は、見本以外のなにものでもない。
自由に、好きなように、自然に、自分流に料理してしまえばいい。
この学びコラムでは、私も見本ぐらいにはなれるだろう。
五木寛之も言っているように、直感にしたがって。
自分の気づきを書いているだけです。