2008年12月
マトリックスとリーダーシップの旅
久しぶりに映画 『マトリックス 特別版 [DVD]』を観ました。
かめばかむほど味が出るスルメのような映画です。
観るだびに新しい発見があります。
預言者に、
「救世主を探せ」と言われたモーフィアス。
預言者に、
「愛する人が救世主」と言われたトリニティ。
ネオが救世主だと信じるモーフィアス。
恐れを拭いきれないけれど、ネオを愛するトリニティ。
この二人がまさに“心を解き放った”とき、
ネオは己を信じるというより、モーフィアスとトリニティの信じる心を信じ、
その瞬間にネオの心も解き放たれたように感じました。
ネオは救世主なのではなく、救世主になった。
そう思った瞬間、
この本 『リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)』とつながりました。
以下引用。
社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。リーダーは自らの行動の中で結果としてリーダーになる。・・・
ネオも救世主になろうと思って、救世主になったのではない。
はじめから救世主だったのではなく、結果として救世主になった。
もう何回観たのかわからない『マトリックス』を再度観ることで、
“ネオとリーダーシップ”との共通点を発見した気分です。
私にとって、スルメよりスルメらしい映画なのです。
看護師さんのための病棟出張コーチング・セミナー 受講者の感想
2008年12月13日(土)、兵庫県の総合病院にて病棟出張セミナーを開催いたしました。
テーマは 『傾聴』。
1病棟のみで行う少人数のセミナーは、同じ職場で働くスタッフ同士が一緒に日々の業務を振り返り、コミュニケーションを見直す機会にしていただけたのではないかと思います。
受講いただいた皆さんの感想をご紹介します。
●自分の意識次第で対人関係は円滑に、ネガティブなイメージはポジティブに変えられると感じた。仕事で患者さんや家族、スタッフと関わるときはもちろんですが、プライベートで特に初対面の人と関わるときにも活かしたいです。
●業務に追われている時に、自分がいかに患者さんの訴えを聞き流していたかということを振り返れました。また話し手になって、それをされるといかに辛いかも分かりました。反対にちゃんと聞いてもらえるだけで、話し手としても話しやすかったです。
業務の中できちんと患者さまと向き合って話を聞いていきたいです。また今日習った“レベル”を意識していきたいです。
●自分の自分中心になりがちな傾向や聞き手にまわることの難しさに気づきました。
実際の仕事の場面で、患者さまとのコミュニケーションのとり方に活かしたいです。
●本来の自己の姿を客観的に見つめ直す良いきっかけになりました。「傾聴のレベル」についての解説が、自分の特徴を把握する上でのよい指針となりました。
まずは実際に色々な人との会話の中で実践し、その中で得た気づきをフィードバックし、今後のコミュニケーションの場に活かしたいです。
●傾聴の種類を意識することで変わってくるんだということを、話し手・聞き手の立場を実際に行うことで知りました。
●自分をカラにすることの難しさや、すぐ自分の話をしたくなる自分に気づいた。
患者さんの相談を受ける時に活かせるといいなと思いました。
●今までの自分のコミュニケーション・パターンを知ることができました。実際に患者さまやスタッフとのコミュニケーションの場で意識してみたいと思います。
●話をするのも大変でしたが、聴くほうがもっと大変だと感じました。
ありがとうございました!
かつらの生え際に見る個性 ~篤姫の場合
NKH大河ドラマ 『篤姫』は、私のお気に入りドラマです。
とうとう来週で最終回。
ドラマとの別れが、こんなに寂しいなんて。。。 (おおげさですね)
私と母は、ドラマの好みがけっこう似ています。
母も欠かさず篤姫を観ているそうです。
母曰く、
「宮崎あおいの髪の生え際が粋だ」
生え際?? 粋??
よーく観察してみました。
確かに、粋な感じです。
今のかつらは、総かつらではなく、
その人の髪の生え際を使って、自然な感じに仕上げるようです。
他の女優さんの生え際もチェックしてみると、それぞれに個性があります。
恐るべしぃ~ 母の観察力!
意外とやります~ 母のドラマの楽しみ方!
正座はつらいよ
一緒にいて、なぜか疲れる人っていませんか?
一緒にいる時は自分が疲れてるなんて意識してないのだけれど、
離れた途端、ドッと疲れが押し寄せてくる。津波のように。
そんな経験、誰でもあるのではないでしょうか?
なぜ疲れるのか?
いろんなパターンがあると思うのですが、最近の私の傾向は?
その人と一緒にいる自分をイメージしてみると・・・
ずっと正座し続けている私。
背筋をピンと伸ばして、お行儀良く座っている私です。
これ以上伸ばすと背中の筋が切れます、みたいな。
膝から下の感覚ございません、みたいな。
ププッと笑っちゃいました。可笑しくって。
あー、そういうことね。
スッキリしました。
スッキリした私は、その人の前で、
あぐらをかいたり、寝そべったりしています。
もちろん、イメージです(笑)
責任の所在と自信
“それでいいよ” “OK” “正解”。
人は他者からお墨付きをもらうことで、自信を持てるようになる、という側面があります。
「これでいいのでしょうか?」
「こうしたほうがよいのですか?」
自信を持つために、自分のしたことに対して、
他者に善し悪しの判断をしてもらおうとすることがよくあります。
自分のしたことが善かったか悪かったか?
善ければ自信になり、悪ければ自分を否定された気分になったり、落ち込んだります。
他者に判断してもらってもよいですが、
他者もその人の思い込みを基準にしているということをお忘れなく。
お菓子を食べてはいけない、という他者の思い込みに従って、
お菓子を食べることをやめますか?
お菓子を食べることでストレス解消、リラックスできるのならOK。
健康を害するほど食べなければOK。
(ちなみに、私は現役でスナック菓子好きですから!笑)
自分で自分の判断や行動に責任を持てばいいだけです。
うまくいくこともあれば、もちろん失敗することもあります。誤った判断をすることもあります。
自信の無さから、自分で判断したり行動する前に、何でもかんでも人に相談するとします。
人に判断を委ねるのは、自分で自分のことに責任を持ちません!と宣言しているようなもの。
時には踏ん張って、自分で判断し行動してみる。
そうしてうまくいけば、もっと自分に自信が持てるのではないでしょうか。
正解がある、という思い込み ~看護師コーチング研修 9
仕事でもプライベートでも、あらゆる日常の中で、
私たちは次の行動を起すための基準のひとつとして、
これは正しいか間違っているか?善いか悪いか? 星の数ほど判断を下しています。
意識して決断している時もあれば、無意識の時もあります。
正誤や善悪という判断基準は、
誰もが同じ基準を持っているものだ、と一般化してしまいがちです。
そして、正しく善いことが、正解だと思い込みがちです。
学校での試験では必ず正解があったので、
いつでもどこでもどんなことでも、世の中には正解があるような錯覚に陥ります。
長い年月をかけて、私たちはどこかに正解がある、誰かが正解を知っているはずだ、
とインプットしてきました。
仕事では、正確さや正解を求められます。またそれが必要です。
と同時に、正解のない不確実な物事も存在するという現実にもぶつかります。
正解ってないのじゃないかな?と心の片隅で思いながらも、正解を探します。
正解は必ずある、という思い込みを、
答えが出ないときもある。
正解はひとつだけじゃないこともある。
私の考えと他の人の考えが同じこともあれば、違うこともある。
というふうに、自分の思い込みをちょっと違う角度から見てみると、
物事を柔軟に、発想豊かに、そして気楽に、捉えることができるのではないでしょうか。
思い込みなく生きる、という思い込み。
この思い込みも違う角度から見てみるとおもしろいかもしれませんね。