コーチングも仏教も同じことを言っている


先日、いつもお参りする近くのお寺に立ち寄りました。
さいだねブログにも登場したことのあるお寺です。
http://d.hatena.ne.jp/saidane/20071103/p1
「ご自由にお持ちください」
“今日の法話”と書かれたB5サイズの用紙が置かれていました。
今日の法話の内容は、

私たちはいつも自分を中心にものを見ては、自分だけの利益を求め、
自分の立場を正当化し、なかなか他人の立場を受け入れたり、認めたりしようとしません。
だから憎しみを持ち怒りの苦しみを抱えているのです。
争いを起し、又不満を抱えて苦しんでいるのです。
つまり私たちは自分に執着する余り「思いやり」とか「優しさ」という心を忘れて
争いや憎しみの炎を燃やし、又十分なものを得ていながら満足するという心を失って
苦しみを作っているのです。
この醜い心に気づいて反省し、正しい心を取り戻すことが大切です。
夢でうなされて苦しい時、どうしたら逃れられるでしょうか。
それは目覚めればいいんです。
現実も同じです。このことを教えるのが仏教です。
                                 伽羅陀山 延命寺

私は特定の宗教を信仰していませんが、この仏教の法話は、
私がコーチングを通じて伝えたいことと重なる部分が多くあります。
特に最初の2行。
私の場合、この考え方を手放すきっかけになったのが、コーチングでした。
すると、自分の中にある「思いやり」や「優しさ」に、自分自身、触れるようになってきました。
これが、この法話の最後にある、目覚める、ということのように感じます。
コーチングも仏教も同じことを言っているのです。
やはり、そこが人間にとって大事だから。
ちょうど新人研修に出かける前に立ち寄ったお寺で、
私が研修で伝えたいことの背中を力強く押してもらえました。

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