モーパッサン 『脂肪の塊』


モーパッサンの『脂肪の塊・テリエ館 (新潮文庫)
時折、思いついたように読み返す本です。
ストーリーは、岩波文庫の1988年第53刷を引用します。

敵軍占領下を行く1台の馬車に乗り合わせたブルジョワたちと1人の娼婦。あだ名を「脂肪の塊」という彼女持参の食料を分けてもらって空腹をまぬかれ、一度は愛想をよくした面々も、敵将校が彼女に目をつけ一行に足止めをくわせたと知るに及んで・・・・・。人間の卑劣なエゴイズムを痛烈にあばいて、モーパッサンの名を一躍高めた名編。

今回読み返し、あらためて感じたことは、
人間は見下す人間をそばに置かないと、
自分の存在意義を感じることができないように生まれついているのだろうか?
ということです。
たまたま乗り合わせただけの人間同士でも、上下をつくり、枠を設ける。
また、敵の将校が娼婦と一夜を過ごすまで全員を出発させない、
と知ったブルジョワたちの言動には、凄まじいものがあります。
娼婦と言えども、敵軍に身を委ねることは、彼女の価値観や存在意義を
揺るがすことだということを誰もわかろうとしない。
もしかしたら、わかっているのかもしれないけれど、
あえてその部分に触れないでいます。
誰もが目的地に早く到着することに焦点を当てています。
目的の邪魔をしているのが、「娼婦」の存在。
自分たち以下の娼婦が邪魔をしていると信じ込もうと
全員躍起になっている姿にむなしさを感じます。
これは、小説の中だけで起こることではないと思います。
私たちの日常レベルでも考えられます。
仕事でも、
「このほうが今回の目標を早く達成できるから、こうしよう。はい、決まり!」
全員の意見が一致しなくても、また全員の話をじっくり聞くことなく、
多数決で決まったりします。
前進するためには、
何か大切なものを踏みにじることもあり得る、
問題の本質をすりかえることもあり得るように思います。
そして、
この小説のブルジョワたちの立場に自分自身が立ったとき、
この人たちと同じことをしないとは限りません。
想像するのも怖いですが、その状況になってみないと、
どうするのかは今の自分にはわかりません。
・・・・・・・・・・・
余談ですが、
20年前に購入した岩波文庫では150円でした。
新潮文庫版は、新訳で「テリエ館」の2話が入っているからなのか340円。
時代の流れを感じます。。。

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