快適になればなるほど・・・


私たちの生活は、便利に快適に過ごせるよう変化し続けています。
快・不快の「快」を探求し続けます。
人間の本来もっている能力を発揮する場のひとつ、
それが「快」の探求なのでしょう。
しかし、快適になればなるほど、心が狭くなっていくような気がしてなりません。
2,3分間隔で正確に到着する電車も、事故で大幅に遅れると、
イライラした空気が流れます。
イライラするということは、心の柔軟性が鈍っている、硬い、ということです。
いつもとのギャップに、心が対応しきれないでいます。
物質面での快適さは、心理的にも快適にしてくれますが、
それと同時に、我慢する、耐える、という精神の強さが失われていくように
感じます。
物理的に便利で快適な社会をつくる能力をもっているからこそ、
精神面の向上も探求し続けていくことが大切だと思います。
それも、人間が本来もっている能力なのですから。

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