映画 『 マザーウォーター 』


この日記は、その日の出来事や気持ちを書くのは極々稀です。
ほとんどありません。
いつも何日間か数週間寝かして、
それでも書きたいと思ったものだけを書いています。
映画『 マザーウォーター 』も観に行ってから、2週間は経っています。
2週間、熟成??させて、自分の中に残ったものを書いてみます。
マザーウォーター ⇒http://www.motherwater-movie.com/#/mokuji
映画はだいたい一人で観に行くのですが、
この映画は、20数年前の職場の先輩を誘ってみました。
その先輩とは、半月ほど前、久しぶりに食事をして近況を聞いていました。
この映画は、今の先輩にフィットするのではないかな~。
私の直感で、しかも映画を観に行く前日、突然のひらめきで声をかけてみました。
(いつもは一人で、誰かと行くことはほとんどないため、突然のお誘いでした)
直感で行動すると、トントンと話が進みます。先輩と一緒に観に行きました。
この映画は、誰のこともわからない映画です。
それに、“良い・悪い”や、“正しい・間違っている”などの観念が、
まったく存在しないところが、私の居心地を良くしてくれます。
“誰のこともわからない”というのは、
その人がどこから来たのか、どんな人生を歩んできたのか、
“こんな人”という情報がありません。
ウイスキーしか置いていないバーのセツコ。
コーヒー屋さんのタカコ。
お豆腐屋さんのハツミ。
あるのは、こんな感じの情報だけです。
実は、そこに “ ありのままのその人たち ” を感じることができる。
“ ありのまま ”
これがこの映画の魅力のように感じます。
「初めてのお客さんは、どんな人だった?」
  ・・・・・「神様みたいな人だった」
「この街に来る前にいたのが、どんな街?」
  ・・・・・「ここによく似た街」
一つひとつの会話は、
情報収集や情報伝達のためにあるのではなく、
その人が感じたありのままを表現しています。
こういう会話に、強く惹かれます。
映画の中だけでなく、こういう世界が、現実に存在するように思います。
パラレル・ワールドって、言いますものね。
赤ちゃんの名前が、ポプラ。(たぶん男の子)
銭湯の男主人は、オトメさん。
(はじめ、オトメさんは、もたいまさこのことだと思っていました)
人物と名前を合わせて何になる? 自分にツッコミました。
しつこいですが、誰のこともわかりません。
わかったのは、登場人物の誰もが、誰にも依存せずに生きている、ということです。
赤ちゃんのポプラすら、依存していないと感じました。
むしろ、この映画のタイトルの如く、
水のように、流れに逆らわず、流れに乗って生きています。
依存せず
留まらず
そんな言葉が浮かんでくる映画です。
それから、人物の服装やお店など、画面に映し出される色合いに、
派手な色がないのも印象的でした。
最後に付け加えると、
お豆腐をプリンのように食べるシーンがたびたび出てきます。
はじめは、私も一緒に美味しく味わっている気分でしたが、
映画が終わった時には、お豆腐を何丁も食べて、お腹いっぱいの気分に。
先輩も同じ意見で、映画アフターの食事は、パンチの効いた味を求めて、
石焼ビビンバとサムゲタンを頂きました。豆腐はいらん。
アツアツの韓国料理を頂きながら、
先輩と映画の感想を “ あるがままに ” おしゃべりして、お互いに大満足でした。
2週間経った今日、この映画にまつわる感覚をもう一度味わって
・・・あしたへは、ダイジなことだけもってゆく。

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