2026年1月
世界をつくっているのは
以前は、猫が嫌いでした。(今は好きです!)
子どもの頃、友だちの家のこたつに足を入れた瞬間、
中にいた猫に、狂ったように引っかかれたのがきっかけです。
それからは、どの猫も敵に見えました。
意地悪そう、わがままそう、気分屋に見える。
猫を好きになれる要素がまったくありませんでした。
「ああ、やっぱり、猫は苦手。嫌いだな」
__________
あるとき、ふと思いました。
猫も、人も、同じだと。
「あの人、苦手だな」
何かきっかけがあって、
あの人が嫌いになります。苦手になります。
そして「ああ、やっぱり、あの人、苦手だな」
という出来事が起きます。
というか、‟苦手・嫌い” を強化する出来事しか起きません 笑
「やっぱり」
この言葉が出てくるのが曲者です。
起きる前に、すでにそうなることを予測している言葉です。
苦手な猫も、嫌いな猫も、苦手な人も、嫌いな人も、
私がつくりだしている。
このことが腑に落ちてから、
苦手や嫌いがだんだん溶けていきました。
苦手も嫌いも、自分自身がつくりだしているだけですから。
私たち一人ひとりは同じ世界を見て、
同じ世界を生きているのではないのです。
それぞれに見たい世界を見て、その世界を生きています。
自分の世界は、自分がつくりあげている。
世界は広いのです。
視野を広げましょう。
視野の広さは『希望』に。
視野の狭さは『絶望』に。
見る世界は自分で選べる、と知っておくだけでも違いますよ。
希望
近所の小学校の廊下に、クラス全員の書き初めが
掲示されているのが道路から見えます。
お題は『希望』
目に飛び込んで来るたくさんの子どもたちの『希望』に触れて、
私にも希望が満ちてくる感覚を味わいました。
良い1年になりそうです。
ここで考えたのは
「良い1年になりそうです」の「なりそう」
これは『希望』ではなく『期待』では?
『希望』と『期待』の違いは何だろう?
希望は、これをやろう!と自ら行動する。
期待は、こうなったらいいな〜と文字どおり待ち受ける。
「能動」と「受動」。
おおまかな私のとらえ方です。
それでは、仕切り直して、「良い1年にするぞ!」
目標に向かって、希望の能動的な1年に。



