学びコラム

11月3日の朝日新聞で紹介されます!


今日はお知らせです。
今週11月3日の朝日新聞 「 be」 土曜版に、私、浜端が登場します!
「be」土曜版ビジネスのキャリアページのコラム 「こころの定年」で紹介されます。
(顔は出ませんが、名前だけでなく、年齢もしっかり掲載されます)
一定期間、組織で働いた後、転身した人たちのインタビューを通じて、
いい顔で働く人たちの例を紹介していく、という主旨で連載中のコラムです。
朝日新聞を購読されている方は、ぜひご覧ください~。


電話セールス


最近、電話料金が安くなる、という内容の営業の電話がよくかかってきます。
相手は、こちらの名前を確認することなく、
今話せる状態かも確認することなく、勝手にしゃべり出します。
「奥さま、いらっしゃいますか?」と聞かれるので、
「いません」と答えます。
たいていの場合、これで終了です。
私は、奥さまでもないし、ご主人さまでもないので、嘘ではありません。
「いるか」 「いないか」を聞かれているので、
その質問に対して、聞かれたことはきちんと返答しています。
こちらの答え方や口調で、これ以上話し続けても無駄だなと判断されているような・・・
もっと会話が広がるような質問や、安心感のある話し方だったら、
私もまだ聞く耳を持つでしょう。
愛想なく電話を切らないでしょう。
ノルマのごとく、
笑顔で声を出すほど給料もらってません!のごとく、
表情のない声です。
マニュアルを棒読みのような時もあります。
感情はどこかに置き忘れてきたのでしょうか。
仕事を楽しんでないのが伝わってきます。
そういう人と話し続けたいとは思わない。
そういう人から何か買いたいとは思わない。
こちらは、守りを固めます。


手本と見本


今日は、五木寛之の『他力 (講談社文庫)』の中の
“人の手本にはなれないが見本にはなれる”の一部を ご紹介します。

高光大船という真摯な念仏者でみんなから尊敬されていた人物が北陸にいましたが、彼の言葉で印象的なのは、自分は人のお手本にはなれない。
だけど見本ぐらいにはなれるだろう、という言葉でした。

手本だと、それに習おうとするけれども、見本はおいしそうとかまずそうとか、見る側の立場でいろいろ言える。
私は健康とか宗教について書いたり話したりしていますが、これらは自分の体験から得たことを直感にしたがって書いたり話したりしているわけで、ひとつの手本ではなく、見本として、みんながとらえてくれればと、思っています。
笑ってくれればいいし、感心したり、共鳴してくれればけっこうな話で、ばかにされても構わない、と。

  
“手本” と “見本” という視点。
この学びコラムでは、コーチングやコミュニケーション、サービスについて、
私の体験から得たことを書いています。
ここで書いていることは、見本です。
私の感じたことや考えたことです。
ああ、こういう考え方もあるのだなぐらいに受け止めてもらえれば、と思っています。
手本には、正しさを求めます。
正しさを求めるのだったら、やめておこう。
私は、お手本を求めることを手放しました。
コーチングの
「誰一人として、間違っている人はいない」
この考え方に立ち返ると、
手本とするより、すべてを見本と捉えると、
そこに自分の考えを重ね、考える力がつき、視野が広がっていきます。
広がりと深み、そして心の豊かさも、少しずつ積まれていくように感じます。
手本にすると、どうしても、誰かと自分を比較してしまいます。
確実に、手本と自分を比較します。
手本ばかり求めていると、自分の外に答えを求めてしまいます。
自分で考えることをやめてしまいます。
だから、いつまでも、本当の自分がわからない。
居心地の悪い自分のままです。
見本にすると、正確に手本をなぞるのではなく、自分は何をしたいのかを優先します。
見本は、見本以外のなにものでもない。
自由に、好きなように、自然に、自分流に料理してしまえばいい。
この学びコラムでは、私も見本ぐらいにはなれるだろう。
五木寛之も言っているように、直感にしたがって。
自分の気づきを書いているだけです。


ちりめんの巾着


ふとした拍子に、ホテルで働いていた頃のエピソードを思い出します。
今日は、フロントで働いていた時の忘れ物のエピソードのひとつを。
(“忘れ物”というキーワードだけでも、いくつか思い出されます。
ここには書けない内容も多くて・・・おもしろエピソードいっぱいなんですけれど)
ある日の朝、チェックアウトの時間帯のことでした。
ちりめんの巾着が、ロビーでの忘れ物としてフロントに届けられました。
手作り風のちりめんの巾着です。
巾着の中に、持ち主の手がかりになるものはないか確認しました。
持ち主の連絡先が判るものがありました。
お財布など貴重品も入っていたと記憶しています。
持ち主の方に電話しました。
とても嬉しそうな声で、
「ありがとうございます。
中身はどうでもいいんです。
その巾着はとても大事なもので・・・友達が作ってくれた大切なものなんです。
その巾着を失くして、ショックで、ショックで・・・どうしようかと思ってました。
本当にありがとう!」
そのちりめんの巾着は、大切に長く使っているのが見てわかりました。
作った人の温かさと上品さを感じる巾着でした。
その巾着を手にした瞬間、
早く連絡をとろうした私が、あの時、確かにいました。
手作りの巾着をプレゼントした人の思い。
手作りの巾着をもらった人の思い。
立場の違う人たちの思いが、手作りの巾着を拾得した私に何かわからないけれど、
伝わってきた瞬間だったのでしょう。
ちりめんの巾着を媒介して生まれるコミュニケーション。
想像できます。
「その巾着、ステキね」
このひと言から始まるコミュニケーションを。
コミュニケーションを創り出すのは、人だけではなく、
視点を変えると、すべてのものがコミュニケーションを創り出すことに、気づきます。
巾着に込められた思いの内容は知らなくても、
巾着に込められた思いの大きさや深さを感じ取る力を、人は持っています。


コミュニケーションの難しさ


コーチングをはじめて知った時、よく耳にする言葉があります。
「私は、今まで、コミュニケーションできていると思っていました。
 今日、できていないことに気づきました。
 コミュニケーションは難しいですね」
コミュニケーションは難しい。
この“難しい”というのは、その人にとって、いろんな意味が内包されていて、
また、漠然としています。
その人にとって、何が難しいと感じたのか?
コーチングを通じて、コミュニケーションのどんなところに、難しさを感じたのか?
反対に、何が面白いと思ったのか? どんなところに興味を持ったのか?
“難しい”という視点からだけでも、
思考が広がり、コミュニケーションが広がります!
“難しい”で止めてしまうと、コミュニケーションが面白くなくなります。
もったいないことです。
“難しい”と思う気持ちを否定する必要はありませんが、
コミュニケーションの広がりを、自分でつくっていきましょう。
広げることで、明確になり、深みや幅が増し、面白くなります。


ロボット以下の対応


昨日に引き続き、公共の交通機関でのこと。
A駅からC駅まで行く予定です。
A駅からB駅までの回数券を持っています。
A駅からB駅までと、A駅からC駅までは同じ乗車料金の170円です。
この回数券が使えたらいいけれど、無理だろうと思いながら、
一応、聞くだけ聞いてみよう。駅員さんに確認しました。
私  「C駅まで行きたいんです。同じ料金のB駅までの回数券持ってるんですが、
    この回数券でC駅まで行けますか?」
駅員 「B駅からC駅までの料金120円が別途必要です」
はい、駅員さん、あなたは正しいです。
何も間違ったことは言っていないです。
駅員さんの言うとおりにすると、
回数券170円+乗り越し120円=290円。
しかし、A駅からC駅まで、普通に乗車券を買えば、170円です。
多少計算が弱くても、それぐらい判ります。
「回数券を使わないで、別に乗車券をお買い求めいただいたほうがいいですよ」
ひと言添える。
別の選択肢を提案。
どうして出てこないのか不思議でたまりません。
いまどき、ロボットでもこれぐらいしゃべりそうです。
インターネットのほうが親切に教えてくれます。
目の前にいる相手の立場になって、ちょっと考えればいいだけです。
たまたま駅でのやり取りを具体例として書きましたが、
同じような会話は、いつでもどこでも起こり得ます。
いくら正しくても、聞かれたことにだた反応して答えるのではなく、
相手が何を求めているのかを考えて、相手が納得できるように答えてほしいものです。
それに、一行で会話を終わらせる、片付ける必要もないと思います。
せめて、二行ぐらい話せば、ちょっとはマシな会話になるのでは?
今日は辛口。
おっと、タイトルも辛口。


泥酔した人に対する私の顕在意識と潜在意識


夜遅い時間帯の電車でのこと。
かなりお酒を飲んだとひと目でわかる20歳代の男性が隣の席に。
座ったとたんに睡魔に襲われたようで、居眠り開始。
男性の頭が、私のほうに、カクン、カクン、ガックン。
20歳代男性ということで、ほんとは喜ぶべきところなんでしょうが、
だんだん腹が立ってきました~。
男性の頭だけでなく、体全体が激しく大揺れ。
膝枕寸前までに!
見知らぬ酔っ払いに、膝を貸す仏心は持ち合わせていないぞ。
それでなくても、狭い電車の中。
その狭い車中で、ここまでパーソナル・スペースを侵害されると平常心で居れなくなります。
電車の中でよく、ちょっとしたことで揉め事になるのは、自分だけの領域がほとんどないから
かもしれません。
今度、もたれかけてきたら言ってやろう!
そして、私の口から出てきた言葉が、
「大丈夫?」
何なんだ、これは??
それも笑顔で。
思考と行動が正反対。
怒っているのに、笑顔で声をかける。
無意識に、です。
こういうのは、はじめての経験ではありません。
私の思考パターンと行動パターンの組み合わせが、状況によって違ってくる、ということです。
泥酔している人に注意してもなぁ、と潜在意識では理解しているのです。
しかし、顕在意識は、腹立たしさを感じているので、何か言いたくなる。
コーチングでは、行動だけでなく、感情も大事に扱っていきます。
そうすると、日常での自分自身の行動と感情のパターンが浮き彫りになってきます。
「何なんだ、これは??」と一瞬驚いても、
腹立たしさの奥には、こんな感情がわき起こっていたんだ、と自己理解が深まります。
理解すると、自分に対する安心感が増します。
おもしろいですね。
「大丈夫?」と声をかけることで、この酔っ払った男性も、もたれかかるのを懸命に阻止しながら
居眠りしていました。
私にも平常心が戻りました。
ほんとおもしろいですね。


世界陸上2007大阪 男子マラソン沿道で応援


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昨日は、世界陸上の男子マラソンを沿道で応援しました。
テレビで観戦するのもいいけれど、ほんの少し早起きして、2,3駅電車に乗るだけで
選手たちを応援することができました。
写真は、玉造筋で撮影したものです。12キロ付近を通過の様子です。
この暑さです。沿道に立っているだけでも汗が流れ、しんどく感じます。
選手たちにとって、過酷なレースだったでしょう。
折り返して、31キロ地点手前で応援していると、
目の前で走るのをやめる選手が何人かいました。
歩き出した選手には、余計応援の声が大きくなります。
身を乗り出して、「がんばって!」と声をかけます。
私だけでなく、応援している人みんなが同じように、真剣に励まし、声援しています。
どうしてなのか?
今、走るのをやめたけれど、ここまでがんばって走ってきた姿を見ているからです。
人は、がんばっている人を応援したくなります。
それは誰でも同じような経験があるからです。
がんばったこと。そして、立ち止まったこと。
誰でも大なり小なり経験しています。
沿道で応援する私たちの誰もが、
世界クラスのマラソン・ランナーのコーチになった瞬間でした。
人は、すべて人のコーチになる。
自分以外のすべての人が、自分のコーチになる。
人生のいろんな場面で、誰かのコーチになったり、誰かにコーチをしてもらったり。
そうやって、私たちはお互いにつながり、影響しあって生きているのだと実感しました。
テレビで応援していても気づかない。
体験から得る気づきに勝るものはありません。


新しいブログを企画中です


教師をしている友人は、このコラムを活用してくれています。
気に入ったコラムを、生徒に見せてくれているそうです。
うれしい気持ちと同時に、身が引き締まる思いでもあります。
「学びコラム」では、サービスやコーチング、コミュニケーションについて
私の感じたままに書いています。
「日々これ好日」では、仕事のことは一切書かず、日常で感じたことを
私の視点で書いています。
正しいか間違っているかの判断ではなく、
どちらも私の感じことをそのままに書いています。
また、「いろんなことを考えてるよね」ともよく言われます。
誰もがいろんなことを考えています。
ただ、自分の考えを別の角度から見たり、深めたりするのが苦手というだけかもしれません。
私も苦手でしたが、コーチングで鍛えられました。
徹底的に“深める”コーチングを受けたことが功を奏しました。
ホームページで書いているのは、私の考えていることのほんの一部分です。
年齢や職業を問わず、いろんな人に読んでもらいたい。
それぞれの人の思考や行動の枠を広げてもらいたい。
今の表現方法では、自分で自分に制限を設けていることに気づきました。
そんなこんなで、新しくブログを始める予定です!
中学~高校生の頃に、妹とよく話していた○○にヒントを得て、
新しいブログを自由な発想で展開していきたいと思っています。
○○を使うことについて、律儀な姉の私は、妹にお断りを入れました。
「そんなこと言ってたかなぁ。中学ぐらいの時かなぁ」
妹にとって、○○は忘却のかなたでした。
私の考えていることを別の形で発信することで、
今までコラムや日記を読んでくださっている皆さんに、
これから読んでくださる皆さんに、
何かしらヒントやきっかけになればいいなと思っています。
しかし、まだまだ準備段階です。
新しいブログのスタートは、このホームページでお知らせします。
このコラムも日記も続けていきますので、これからもよろしくお願いします!


自分にとって大切なのは何か?を見つける方法


私にとって大切なことは何だろう?
時間の流れが速く、膨大な情報量の中で暮らしていると、
何が大切なことなのかわからない、という人も多いのではないでしょうか。
大切にしているものがない、のではなく、
あなたの中に埋もれているだけです。
大切なことに意識を向けていないだけです。
意識を向けるためには、どうすればよいのか?
何から始めてよいのかわからない時は、
“部屋の片付け”から始めてみましょう。
部屋の掃除については、いろんな本に書かれています。
それでも、やらない人は多い。
たかが掃除、そんなことで自分の大切なことがわかるの?
と掃除や片付けを軽視する人もいるでしょう。
しかし、いろんな本に書かれているということは、どういうことなのでしょう。
身のまわりの環境を整えると、内面に変化があらわれます。
その変化は人それぞれです。
私は何を大切にして生きているのだろう?と意識を向けながら、
まずは実行!
私の場合は、数年前、思い切って引っ越しました。
私にとって大切なものが、浮上してきました。
自分の大切にしていることにそって生活すると、さらなる変化がやって来ます。


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