日々これ好日
evening sky
最近の私の楽しみ。
それは、暮れ行く空を眺めながら、晩ご飯をいただくことです。
西の空に沈む夕陽が、東の空を美しく染めます。
そんな東の空を眺めながら、毎晩、食事をする贅沢な時間を過ごしています。
といっても、窓から空を見るだけなんですけれど。
それだけで、幸せな豊かな時間になります。
同じ空の景色の日は、一日たりともなく、
毎夕、違う風景の空を、夕食とともに味わっています。
夕食のレパートリーは少なくても、夕空のバリエーションは無限です。
一番近くに感じる大自然の空。
自然を感じながら、日々を丁寧に暮らしていきたいです。
植物の成長
この日記に、何度も話題にあがっている
昨年8月から、水のみで元気にしている花瓶のグリーン(葉物)。
今日もその話題です~。
4月には、新しい根っこが伸びてきたことを書きました。
6月に入って、今度は、葉の芽が出てきたのです。
この小さい芽が、どのように、一人前(一葉前かな?)の葉っぱに成長していくのか?
それが、今、毎日の楽しみになっています。
若々しい葉っぱが、くるくる巻きながら伸びてきています。
葉っぱの模様もうっすらと浮き出ています。
それだけで、遺伝子のすごさを感じます。 毎日、感動です。
今までは、一枚の葉の成長をじっくりと観察する機会はなかったのですが、
今回、毎日観ていて、もしかして、こういうことかな?と思いました。
いのちの目的は、成長すること。
いのちの目的は、ただ成長する、それ以外にないのではないだろうか。
植物も、人間も、同じなんだと思います。
シンプルに生きている植物。 複雑に生きている人間。
同じだけれど、違いがあるとしたら、こいういことかも?

匂いに自然を感じる
近くにオープンしたばかりのコーヒー販売店で、試飲させてもらいました。
お店の人に、コーヒーはよく飲むかどうか聞かれ、
以前は毎日コーヒーを飲んでいたけれど、今は紅茶を飲むことが多いと正直に話すと、
それだけで、豆を選んでくれました。
コーヒーを淹れてくれているとき、今までに嗅いだことのない良い匂いが漂ってきました。
味もスッキリしていて、紅茶ではないけれど、紅茶を飲むのに近い感覚でした。
久しぶりに美味しいコーヒーをいただきました。
コーヒーや紅茶に限らず、匂いは、大事だなと思います。
匂いは、心身ともにリラックスさせてくれます。
豊かな時間の流れを感じさせてくれます。
そして、もうひとつ大事なこと。
私は、匂いに自然を感じます。
大自然の中にいなくても、
私たちのまわりのちょっとした匂いが、豊かな自然をもたらしてくれます。
1杯のコーヒーから、自然とのつながりを感じました。
メディカル・ランナー
ある医療者のクライアントさんは、
今年の大阪マラソンに “メディカル・ランナー”として参加するそうです。
メディカル・ランナーとは、
ランナーが倒れた瞬間から心肺の蘇生を開始する役割、と聞きました。
参加のランナーと一緒に走りながら、まわりのランナーの様子を見ながら、自分も走る。
このクライアントさんは、スタートから12キロを走るそうです。
自分が倒れるわけにいかないので、ランニングしたりと少しずつトレーニングしていると聞いて、
やはり医療現場で働く人は、真面目な人が多いことを再認識しました。
特に、コーチングに興味のある人は、責任感が強くて、真面目な人が多いです。
話は変わりますが、
資格や免許を活かした仕事に就いていると、
それに縛られて、なかなか他の世界に飛び込めない、とか、これしかでいない、とか、
自分で自分に制限をかけている人が多いように思います。
このクライアントさんのように、資格を活かして、
メディカル・ランナーとして参加し、貢献し、大阪マラソンを体感することもできます。
資格を持った自分自身を、別の分野でも発揮しながら、他の人にはできない体験ができます。
資格を持っているからこそ、できることもある、ということです。
私はランナーとして参加できたとしても、できないのが、メディカル・ランナーです。
資格を持っていることの良さにも目を向けてみたいものです。
資格に縛られているのではなくて、
自分で自分を “ 資格 ”という縄でぐるぐる巻きに縛っている。
そのことに気づいたならば、縄を自分で解くことができます。
資格に限らず、日常のいろんなことに言えますが。
苦しいなと思ったら、自分で巻き付けた縄を、まずは見てみましょう♪
地面の底がぬけたんです
『 地面の底がぬけたんです~ある女性の知恵の73年史~ 』
ハンセン病患者の藤本としさんの著書を読みました。
この本を読むきっかけになったのは、
『 もういいかい ~ハンセン病と3つの法律 』 というドキュメンタリー映画です。
著者の藤本としさんは、麻痺や、手の指も失い手のひらのみ、失明しています。
過酷な人生でありながら、
藤本としさんの文章からは、過酷さよりも、精神の自由、心の豊かさが伝わってきます。
私の心の辞書には載っていない、情感豊かな言葉の持ち主です。
過酷な体験こそが、
読む者の心を清めるような美しく瑞々しい言葉の数々を生み出したようにも感じます。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧 新版 』でも書かれているように、
人としてのあらゆる自由を奪われても、誰一人として、精神の自由までをも奪うことはできない。
このことの意味を、藤本としさんからも教えていただきました。
『地面の底がぬけたんです』 の中で、特に心に沁みた “ ピンセット ” をご紹介します。
発想の、想像の、素晴らしさを味わってください。
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ピンセット
私はたいへん調法なピンセットをもっています。
このピンセットはどんなに小さいものでも、またどれほど大きなものでもちゃんと鋏み取ってきて、
これは困ったというものはありません。
この利器がいつから私のものになったのか、いつごろから使い始めたものか、
とんと覚えはありませんが、ともかく最初は鈍感でなかなか働こうとしなかったことは確かです。
それがこんなに使いやすくなったのは、全く習うより馴れろで、
私の心が自然に操作のこつを覚えこんだのかもしれません。
それともいつの間にか、先輩たちの知恵をまなび取ったものでしょうか。
明と闇とのさかいで、逆境から教えられたものでしょうか。
ともあれ、私がこのピンセットを使って、毎日鵜の目鷹の目で、
芥のなかから拾い出しているもの、それは喜びなのです。安らぎなのです。
しあわせなのです。微笑のきっかけとなるものなのです。
私はこれらを重ねて、その日その日の太陽を作ろうとしているのです。
今日のピンセットは、このようなものを集めました。
久しくベッドで苦吟していた友の、元気になった声を浴場で拾い、咲き初めた梅をたずねて、
かぐわしい匂いの中からいのちの美を摘み、老人の愚痴をその身になってきいてあげて、
おおきに・・・・・・この言葉を貰い、拭き掃除して叱られたが、
その言葉のうらから労りの砂金を取り、仏へ捧げた筈の合掌から、心へ大きな支柱をいただき、
二通も届いた手紙からは、それぞれに湧き出る愛念の泉を汲みました。
しかし未熟の私は、まだ殆どの珠玉を見落としているのに違いありません。これからです。
これから私の腕が冴えれば冴えるほど、ピンセットは飛鳥の速さで何かを摑んでまいりましょう。
私は生涯このことに専念するつもりです。
芥即太陽、このことがしんから自分の感じとなる日まで。
(昭和三七年)
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変化・成長・いのち
花瓶に生けてある葉物(グリーン)は、もう8ヶ月以上、花瓶の水だけで元気にしています。
水を入れ替えるのが、毎朝の気持ちよい日課となっています。
あたたかくなり出した1週間ほど前、グリーンに変化が表れました。
茎から白い根が生えてきていたのです。
ふっくらとした、みずみずしい(水の中ですが)新しい根が、ちょこんと顔を出し始めました。
毎日毎日、少しずつ伸びてきています。
「成長を見守る」という楽しさが、毎日の日課にプラスされました。
植物は、土に植えられていなくても、ちゃんと分かっているのですね。
気温が上がり、暖かくなると、
誰かに何か言われなくても、自ら成長し始めます。
身近なところで、至るところで、今まさに、いのちが輝いています。
気心の知れた関係
先日、高校時代の友人を訪ねて倉敷へ。
出産のお祝いです♪
共通の高校時代の友人と一緒に、
前日は岡山で一泊し、翌日二人で倉敷の友人宅へ向かいました。
出身地の和歌山の話や、
お決まりのように、高校の卒業アルバムを見ながら、思い出話で盛り上がりました。
思い出話もいいのですが、
それ以上に、それぞれの仕事を通しての体験談が、面白くて、刺激を受けました。
友人ふたりは、精神科医と、テレビ局の報道デスク。 私は、コーチ。
ふたりの話は、とても興味深く、楽しく、
自分の仕事の素材を思いついたり、自身を振り返る時間となりました。
そして、なによりも、笑顔になります。
話が面白いというのもありますが、
やはり、十代の頃からの気心の知れた関係だからかもしれません。
もちろん、主役である赤ちゃんと遊びながら、私たち三人も、会話で、いっぱい遊びました!
まわりの人に恵まれる
最近、中学・高校時代からの友人たちに、立て続けに会っています。
会う機会が、たまたま重なっただけですが、
こうして、会える友人たちがいることを幸せに感じます。
多感だった十代の頃の面影を残しつつ、
皆それぞれの道を歩み、素敵な大人になっています。
大きな心で、ありのままの私を見てくれていることに感謝です。
私は、友人だけでなく、まわりの人に恵まれている、つくづく思います。
人間関係に恵まれている、ということは、私にとって、人生の宝です。
「人は宝」です。
「モノではない、生きた宝」です。
「鍵は必ず何かを開ける」 「みんな何かを失くしている」
映画 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 を観ました。
9.11で父親を亡くした少年の物語。
父親が残した鍵に込められたメッセージを探し出そうとする少年と、
かかわる人々の姿が描かれています。
映画の初めのほうでの、鍵屋のおじさんのひと言。
「鍵は、必ず何かを開ける」
このひと言が、最後に、響き渡り、映画の世界観が、目の前に大きく広がってきます。
鍵は、少年だけでなく、出会った人たちそれぞれの、何かを開けていきます。
この少年が、こじ開けるのではなく、やさしく、自然に、開いていくかのように。
映画の終盤、少年の言葉も印象的でした。
「みんな何かを失くしている」
少年は、大勢のブラックさんたちと出会い、そのことを体感していきます。
その象徴は、途中から一緒に旅をする 声を失くした少年のお祖父さんです。
特に、お祖父さんとの触れ合いの中で、少年は感じ取ったのではないだろうか思います。
「失くす」ということは、マイナスのイメージがありますが、
「失くす」ことを肯定的にとらえることもでき、失くすことで得るものもある、
と少年は教えてくれました。
この映画は、ハンカチなしでは観られません。
大泣きはしませんが、涙が乾く暇もありませんでした。
「鍵は、必ず何かを開ける」
私も、この少年に出会えてよかったです。
ため息をつかなくなった
ため息をつかなくなっている!
このことに気づいて、なんだか嬉しくなって、
チラッとこの日記に書いてみようと思いたったわけです。
20代後半から30代前半の頃は、日常的にため息をついていました。
無意識でなく、自分でもそれとわかるくらい頻繁に、です。
気づけば、ここ数年、ほとんどため息をついていないように思います。
もっと前に気づいたことは、毎朝起きるのが辛くない、でした。
会社勤めの頃は、「今日も仕事かぁー」
1日の始まりを気分よく過ごせていない日もありました。
しかし今、そんな日は、 ・・・記憶にありません。
毎日が充実。
毎日が楽しい。
毎日が発見。(このタイトルの雑誌ありますが・・・)
と同時に、毎日を淡々と暮らしています。
この淡々さが、私にはほど良いのです。
なんだかんだ言っても、結局は、
コーチングがもたらしたものは、計り知れない。
ここに落ち着きます。



