学びコラム
大丈夫
小学1年生のとき 、先生に宿題に丸をつけてもらって
「よくできました」の桜の花丸ハンコを押してもらう。
それがとても嬉しかったのが記憶に残っています。
そのとき私は、先生みたいに丸をつけて桜の花丸ハンコを押したい!
という単純な理由で先生になりたいと思ったのでした。
(先生になりたいと思ったのはそのときだけで
以後、桜吹雪のように儚く舞い散り、すっかり忘れていました)
コーチングをしていて、小学1年生の私がいることに気づきます。
人は、そのときどきで悩みや課題があります。
その人が困っていたとしても
「助けてあげたい」とはならないのです。
と言うのも、その人はもともと「大丈夫」(花丸)なんですから。
するのは、「この人は大丈夫」と信じ切ることです。
もうすでに、丸(マル)ですよ!
何があってもあなたは大丈夫!
その人の持つ力を信じています。
何も入り込む余地なく大丈夫と信じて、かかわります。
小学1年生の私が、先生から頂いたのは
花丸を通しての『大丈夫』だったのかなと思います。
あなたも私も、誰もが大丈夫な存在なのです。
自然界には直線は存在しない
サグラダ・ファミリアの建築家アントニオ・ガウディはこう言っています。
『自然界には直線は存在しない』
『直線は人間に属し、曲線は神に属する』
世の中には、どんどん直線が増えているように感じます。
直線は、便利さや機能性を追求する私たち人間に属します。
効率の良さを追い求めると、どうしても直線コースになります。
整備されたまっすぐな道路。
進学・就職・結婚などライフイベントもまっすぐな線の上に。
欲しい情報を一瞬で得ることができる、ピッとするだけで物が買えるシステム。
私たちも自然界に存在する生き物として、直線ではないはずですが、
日常に溢れる直線に従って行動しているように感じます。
だから、閉塞感や息苦しさを感じることがあるのかもしれません。
人はまっすぐな道から外れることを恐れますが、
私たちはそもそも直線ではない自然物です。
なので、つまずいて転んで道から外れます。脱線します。
迷って悩んで紆余曲折があります。
その脱線が、その曲線が、大事なこともあるのではないでしょうか。
遠回りして、本当に行きたいところに辿り着けることもあるのではないでしょうか。
なんだかんだ言っても、私たちは直線を好む曲線です。
まっすぐを求めるまっすぐではない生き物です。
「そのまんまで良し」としましょうか。
世界をつくっているのは
以前は、猫が嫌いでした。(今は好きです!)
子どもの頃、友だちの家のこたつに足を入れた瞬間、
中にいた猫に、狂ったように引っかかれたのがきっかけです。
それからは、どの猫も敵に見えました。
意地悪そう、わがままそう、気分屋に見える。
猫を好きになれる要素がまったくありませんでした。
「ああ、やっぱり、猫は苦手。嫌いだな」
__________
あるとき、ふと思いました。
猫も、人も、同じだと。
「あの人、苦手だな」
何かきっかけがあって、
あの人が嫌いになります。苦手になります。
そして「ああ、やっぱり、あの人、苦手だな」
という出来事が起きます。
というか、‟苦手・嫌い” を強化する出来事しか起きません 笑
「やっぱり」
この言葉が出てくるのが曲者です。
起きる前に、すでにそうなることを予測している言葉です。
苦手な猫も、嫌いな猫も、苦手な人も、嫌いな人も、
私がつくりだしている。
このことが腑に落ちてから、
苦手や嫌いがだんだん溶けていきました。
苦手も嫌いも、自分自身がつくりだしているだけですから。
私たち一人ひとりは同じ世界を見て、
同じ世界を生きているのではないのです。
それぞれに見たい世界を見て、その世界を生きています。
自分の世界は、自分がつくりあげている。
世界は広いのです。
視野を広げましょう。
視野の広さは『希望』に。
視野の狭さは『絶望』に。
見る世界は自分で選べる、と知っておくだけでも違いますよ。
客観視して捉え直す
思考の無限ループに入って
なかなか脱出できないときはありませんか?
そして、一度考え始めてしまうと
どこまでも悪く考えてしまうものです。
ネガティブ・ループがガッチリ出来上がります。
モヤモヤしているときもそうですが、思考を整理するには
頭の中の考えを紙に「書き出す」のがよい、とよく耳にしませんか?
単に考えを書き出すよりも
「事実」と「解釈」に分けて書き出すことをおすすめします。
白い紙の真ん中に縦棒を1本引いて、事実と解釈に分けて書き出すだけです。
カンタン♪カンタン♪
「事実」と「解釈」を書き出すだけでもスッキリしますが
さらにおすすめは、声に出して読み上げて客観視することです。
脳内思考を客観的に捉えることができます。
自分で話して自分で気づくオートクライン効果もあります。
「事実」と「解釈」を客観視して、その次は「捉え直し」ます。
12月28日の『学びコラム』に書いたユーミン(松任谷由実)の言葉も有効に使えます。
『自分を強く持っていれば、
それはそれで学びがあるかもしれない』
こう自問します。
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これらの「事実」と「解釈」から何を学ぶことができるだろう?
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建設的で発展的な考えが出てくるでしょう。
出てきた考えも声に出して言葉にしてみましょう。
思考の無限ループは「悩む」です。
「悩む」より、「考える」を選びたいですね!
自分を強く持つ
あるインタビュー番組での
ユーミン(松任谷由実)の言葉が心に響いて残っています。
『自分を強く持っていれば、
それはそれで学びがあるかもしれない』
インタビューの文脈からすると、新しいアルバムに込めたメッセージ
「強く、生きよ」からの言葉だと思いますが、それは脇に置くとして
私がこの言葉から受け取ったものを書いてみます。
『自分を強く持っていれば、
それはそれで学びがあるかもしれない』
自分を強く持っていれば…「大丈夫」というようなOKを出す言葉が
続くのかなと思いきや、「それはそれで学びがあるかもしれない」
という言葉選びに妙を感じます。
「それはそれで学びがあるかもしれない」と来ると
前の「自分を強く持っていれば」の「強さ」の意味合いも広がります。
自分を強く持つ、にはいろんな強さがあるのではないだろうか?
それに、強さには「弱さ」も含まれているのではないだろうか?
ユーミンの言葉の世界に引き込まれていきます。
「それはそれで学びがあるかもしれない」と来ると
自分を強く持つとは、何事にも向き合おうとする姿勢が強さなのかもしれない。
ユーミンの言葉の世界に、想像が翼を広げ始めます。
「自分を強く持っていれば」は、密度が高く、ぎゅっと凝縮されているイメージ。
「それはそれで学びがあるかもしれない」は、「余白」「空間」「成長」広がりのイメージ。
「収縮」と「弛緩」…心臓や筋肉の動きにも連想が広がっていきます。
ユーミンは心に残る歌詞を紡ぐように、
インタビューの言葉も私たちの心に残るように紡いでくれます。
実際に、最近大きな出来事があったとき、
『自分を強く持っていれば、それはそれで学びがあるかもしれない』
を思い出して、この出来事から何を学ぶことができるだろう?と自問しました。
すると、出来事に向き合う自分がすっと立ち上がってくる、という体験をしました。
ユーミンの力は偉大です。
雑音
私たちは、自分の中に流れる『雑音』に気づかないことが多いです。
雑音には、自分一人ではなかなか気づきにくいものです。
本人がこの雑音に気づいて、雑音のスイッチを自分自身で切るのを
ガイドするのが私の役目でもあります。
雑音が流れっぱなしだと、人は自らの声を聴くことができないからです。
雑音がなくなったとき、人は自らのクリアな声(考え・思い)を聴くことが
できるようになり、本来の状態になります。
本当の声を聴いたとき、人は次の段階へと移ります。
奏でる
雨の音を聞きながら、ふと思ったことです。
当たり前といえば、当たり前なことです。
雨は何か他のものと触れ合って、音が出ています。
雨音は、雨そのものが音を出しているんじゃないのです。
アスファルトの道路と奏でる音。
植え込みの土や木々と奏でる音。
自転車置き場のトタン屋根と奏でる音。
吹く風と奏でる音。
いろんなものといっしょに、その場その場で
さまざまな雨音が創り出されます。
私たちも同じですね。
友達と。
上司や部下、同僚、お客様と。
初対面の人と。
家族と。
ペットと。
いろんな人たちとのあいだで
さまざまな音(コミュニケーション、空気感、関係性など)が生まれます。
まわりにいろんな人がいるからこそ、いろんな自分と他者に出会えます。
誰もが誰かと何かをクリエーションし合っています。
最も大切なものは?
万博のパビリオンのひとつ、韓国館での体験からです。
韓国館では、入館前に個別ブースに入って
「あなたにとって最も大切なものは何ですか?」
という質問に対してマイクに向かって答えます。
その音声が、パビリオン内で音楽に変換される趣向です。
一緒に入館した人たちの大切なものは…
「いのち」「愛」「家族」「信頼」「つながり」などがありました。
そのとき、私は「つながり」がすべてを包含するワードと感じました。
「いのち」は、何世代にも渡って脈々とつながっています。
「愛」や「家族」「信頼」は、人と人とのあいだに生まれるつながりがベースです。
万博のパビリオンやイベントなどを通じて
私が感じたつながりは、世界の人と人のあいだをはじめ
文化、自然、地球、宇宙へと大きく広がっています。
あらゆるものとつながっていることを忘れないで、
あたたかいつながりを大切に、そしてなによりも気楽に歩いていきたいです。
あなたにとって最も大切なものは何ですか?
「選ばない」と「選べない」
目の前に、分かれ道があります。
どちらの道を進むのかは、自分自身で選べます。
迷ったときは
登り坂や険しく見える、できれば避けたい道を選ぶようにしています。
少しチャレンジします。
そちらを選ぶのはどうしてなのか?
平坦な楽な道ばかりを選ぶクセをつけたくないからです。
楽な道ばかりを進むクセがつくと
ちょっとした坂道も登るのがきつくなります。
分かれ道で、坂道を避け続けていると
いつしか登り坂を選べなくなります。
「選ばない」のではなく「選べない」
誰にでも楽をしたい気持ちはあります。
私もあります、あります。ありありです。
そんなとき、こう思い直すことにしています。
「たまになら楽な道もいいけれど、楽なほうばかりを選んでいると
そのうち楽な道しか選べなくなるよ」
それに、楽ではなくても、楽しく進むことも選べますしね!
人に頼るときの心得
仕事では、人に頼ることもときには必要です。
その仕事の責任は「自分にある」と自覚して
人のサポートを受けることが肝心です。
責任まで人を頼りとしない。
責任は自分に引き寄せて、まわりに協力してもらいます。
責任ある行動が信頼関係を築きます。
そうすると、もっと仕事がやりやすくなります。
もっと仕事が楽しくなります!



