学びコラム
意識の方向
ある企業での長期間に渡るコーチング研修がもうすぐスタートします。
研修のイメージを膨らませるために参考にさせてもらおうと、
ある大学のコーチング自主ゼミを見学に行ってきました。
(結局、参加しました)
クライアント役の学生さんは、大勢が見ている中でも
意識が自然と内側に入っていきます。
コーチの意識がコーチ自身の内側に向いている。
それはコーチングではなくなります。
クライアントの意識が、しっかりクライアント自身の内側に向き、
内面にアクセスできる状態にある。
これがコーチングです。
そういう場をつくることの大切さを、コーチとして再認識しました。
そのままにしておかない
最近、コーチングの勉強会に参加する回数がめっきり減っていることに気づきました。
コーチ同士の集まりに、久しぶりに参加しました。
今回、参加して学んだことは、
「腑に落ちないことをそのままにしておかない」
ということです。
ある事について聞かれ、答えたのですが、
自分の発言(答え)に何か引っかかるものを感じながら、
会話は流れていきました。
「腑に落ちない」 「違和感がある」 「気持ちがモヤモヤする」
このような表現ができます。
引っかかりながらも、何に引っかかっているのかわからず、
その場と時間を過ごしたので、いつもよりテンションの低い自分がいることにも
引っかかりながら・・・。
帰りの電車で、セルフ・コーチング。
ある事について、ある事の「人」に対して引っかかっていたのではなく、
ある事の「内容」に対して引っかかっていたのです。
答えを出したつもりでも、自分の本当の答えでない時もあります。
浅いところで答えているよ、と自分の感情がサインを出してくれます。
日常ははやいスピードで過ぎていきます。
小さな違和感、それが何であるのかじっくり問いかける時間もないくらいのスピードで。
腑に落ちない、小さな違和感を、そのままにし、どんどん積み重ねていくと、
ますます本当の自分から遠ざかり、迷路に迷い込んでしまいます。
「腑に落ちないことをそのままにしておかない」
その答えを自分で見つけることが大切です。
自分の感情に、深さや広がりがあることを意識する。
モヤモヤしたままなのに、浅いところで決着をつけない。
同じことを何回も繰り返さないためにも。
素直
このコラムのテーマは 『学び』です。
今日はコラムの大テーマである『学び』に絡めて書きたいと思います。
学ぶ、学びを深める、そのために大切なことは何だろう?
私にとって、学ぶために大切なことは?
そう問うた時、一番に浮かんだのは、“素直”であるということでした。
特に、個人で仕事をしていてると、
企業で働いていた時のように上司もいないので、
助言や苦言を言ってもらえることが少なくなってきます。
会社に勤めている時は、
アドバイスや注意されても、時には素直に受け止めず、
聞き流したり、反発心がわいてきたり、やる気をなくしたり・・・子どもっぽかったなぁ。
よりよい仕事をしよう。人間性を磨こう。
そのためには、他者の意見や助言に素直に耳を傾け、素直に受け止め、
どうやったらもっとよくなるだろう?
そう捉えるほうが得るものも大きいのです。
「素直な人」というのは、
「誰の言うことでもよく聞く人」ではなく、
「誰の言うことでも受け止め、自分の中でよく咀嚼し、自分のものにしていく人」
「どんな人からでも、どんな出来事からでも、学ぼうとする“素直”さを持った人」
素直な人は前向きです。
素直な人は前向きに学ぼうとするので、良いことがたくさん起こります。
意固地にならず、ひねくれず、まずは、素直に受け止めてみましょう。
学びたいのなら、学ぶことが楽しいと思えるようになりたいのなら、
素直に受け止めてみましょう。
本来のあなたであり、自然なあなたであり、息苦しくないラクなあなたでありたいのなら。
“素直”であることは、ありたい自分を見つける近道かもしれません。
人生は学ぶことだらけです。
真に学ぶ人は素直な人。
呼吸を合わせる
加藤晴彦、ともさかりえ出演の映画 『AIKI』。
AIKI
ストーリーは、
ボクシングに打ち込む青年が交通事故に遭い、下半身麻痺となる。
車椅子の生活で自暴自棄になっていた青年が、合気柔術と出会うことで変わっていく・・・。
デンマーク人の実話をもとにした映画です。
あまり人に話したことはなかったのですが、
実は、私も2年間ほど合気道をしていました。
一応、初段で黒帯を持っていました。今はどこにあるのかも分かりません。
あくまでも20年前の話です。今はまったくです。
この映画 『AIKI』の中でも、何回か出てきた
呼吸を合わせる
という言葉。
この“呼吸を合わせる”ことは、コーチングに通じるものがあります。
コーチングの“ペーシング”に近いものがありますが、
ペーシングよりさらに深いものなのではないかと私は捉えています。
それは、話すスピードや使う言葉、うなずきなど、私たちの目に見えて
合わせるものだけでなく、感覚的なもので、目に見えないものです。
合気道をしていた当時の記憶をたどると、
“呼吸を合わせる”とは、真剣に相手をよく見る。観察する。
相手の動きを読む。
すると、自然な流れみたいなものの中にいることが感じ取れます。
その時、呼吸が合い、次の技、動きが生まれます。
相手とつながるような感覚的なものです。
このつながりが、“氣”なのかもしれません。
合気道だけでなく、他のスポーツや日常でも同じことです。
ボクシングや相撲、バスケットボールなどは、
呼吸を合わすことができるから、かわすこともできます。
そして次の動きへと流れるようにつながります。
対相手のスポーツはもちろん、水泳では、水と空気と自分自身に呼吸を合わせます。
日常では、子どもを寝かしつける時、自然と呼吸を合わせているでしょう。
掃除する時や料理する時もそうです。
あらゆるもの、すべてのものと調和し、呼吸をあわせています。
“呼吸を合わせる”とは、相手だけでなく、相手と自分を取り巻くすべてに、
呼吸を合わせるということです。相手と対峙することとは対極にあります。
日常のあらゆる場面で、呼吸を意識してみてください。
得るものがきっとあるはず。
共感
共感のない会話は、そこらへんにゴロゴロしています。
共感がなくても、会話は一応成立します。
共感があると、会話にお互いの感情が流れあいます。
特に、相手にとってのバッド・ニュースをあなたが伝える場合、
相手に起きたバッド・ニュースをあなたが聞く場合。
「たいへんだったね」と言葉をかける。
相手と一緒にガッカリする。
グッド・ニュースの場合も同じです。
「よかったね!」と言葉をかける。
相手と一緒になって喜ぶ。
「共感」とは、「分かち合う心」
「共感」とは、「思いやり」
「共感」とは、「あなたの中にある優しさの表現」
人に起きる出来事や感情は、あなたにも同じように起きます。
その時、あなたに起きていない出来事だったとしても、感情だったとしても、
共感することができます。
これが私たちの良さではないでしょうか。
共感がなくなると、人のことはもちろん、自分のこともわからなくなります。
共感がなくても会話は成立します。
しかし、共感のない会話に信頼は生まれません。
会話は、よりよい人間関係と信頼関係を創り出すための大切なつながりです。
「相手の立場に立つ」ということ
サービス業では、
「お客さまの立場に立つ」
大切な指針のひとつです。
頭で理解できている=行動レベルでできている
常にイコールとは限りません。
先日、「~~~について教えてほしい」というメールが届きました。
内容が漠然としていて、何をどう答えてよいのか判り辛いメールです。
相手のこと考えてるメールじゃないよねー、と思いました。
何を知りたいのか判り辛い、ということ自体、相手に考える手間を取らせています。
相手の書く手間や大切な時間を自分のために使ってもらうことになる、
という意識が抜け落ちています。
どうしても聞きたいのなら、
“今までに、こんなことをやってみて、その結果は~~で、こんな気づきがありました。
今度はこんなことをしてみようかと思っています。”
これぐらいは書いて送っていただきたいものです。
自分の手間を省いて、相手の手間をとる。
エゴでしかありません。
具体的な内容のメールだと、
“そういうことを試してみたのなら、ここをこういうふうにして私はうまくいきましたよ。”
具体的な内容で答えることができます。
ホテルの企画時代のこと。
企画部は、お客さまと接するより、他社の営業マンと接することのほうが多い部署です。
(広い意味では、営業マンもお客さまですが)
はじめて会う営業マンです。
商品の営業です。
帰り際、この営業マンは、
「ホテルの隣の駐車場に車を止めているので、駐車券ください」
ホテルの施設をご利用のお客さまで、有料駐車場を利用時、駐車券をお渡しします。
(ホテルは駐車場管理会社にお客さまの駐車代金を払っています)
この人は、自社製品を売るために、それも初めて営業に来た営業マンです。
営業先に交通費を出せと言っているようなものです。
2つの例を挙げましたが、
私自身も、いつ何時、相手の立場に立っていない行動するかわかりません。
可能性は常にあります。
ただ私が心がけていることは、
「自分がされて嫌なこと(困る)は、相手にもしない」
シンプルですが、これが肝心なことだと思います。
「自分がされてうれしいことを、相手にもする」
これには大きな落とし穴があります。
「されてうれしいこと」は、「されて嫌なこと」より、人それぞれ違いが大きいものです。
透明な軸
ゴーデンウィークも終わりましたね。
ホテル勤務の頃とは違って、今は日祝に休めます。
そして、ホテル勤務の頃のように、今は平日も休めます。
今の仕事のスタイルが、私には合っているようです。
偶然に合ったスタイルが見つかったのではなく、自分で合うスタイルを見出しました。
時間も仕事も自身も、自由にマネジメントする。
創り出す、と言ったほうがしっくり合います。
大切なことは、今までの自分をいったん手放すこと。
今までの考え方や生活、フタをしておきたいことなど、すべてをひっくるめて
自分自身に向き合って、いろんなものを手放すこと。(山あり谷ありです!)
山越え谷越え、
自分がシンプルになればなるほど、無駄な動きが減ってきます。
シンプルになると、本当に必要なことだけが浮き上がってきます。
そして、自分の中にまっすぐ貫く透明な軸が見えてきます。
これがコーチングの静かなるダイナミズム。私はそう感じます。
豊かな時間をつくる
今年に入って、読んだ本は約20冊。
今年はなかなか快調です。
それに、読んだ後、充実した気持ちになる本ばかりです。
誰かが話していたのか、何かで読んだのか、
こんな言葉を思い出しました。
「読んだ本の中で、1割ぐらいしか役に立つことが書かれていない」
その時は、なるほど~と共感しました。
どうして共感したのか?
当時の私は、ビジネス書やハウツー本ばかり読んでいたからです。
“答え”が載っていないか一生懸命探していました。
答えを求めて、ビジネス書やハウツー本を読んでいた私には、
上記の言葉がピッタリ当てはまりました。
自分のほしい答えがどこかに書かれているのではないかと探していた時は、
「9割の時間を無駄に費やしてしまった」というなんとも寂しい考え方をしていました。
ビジネス書やハウツー本に、ヒント以上のものを求める読み方をすることで、
時間さえも無機質なもののように扱っている自分がいました。
コーチングの基本にある考え方
~答えは自分の中にある。
(その人の答えは、その人の中にある)
自分の答えは自分の中にしかない、と骨身にしみている今は、
自分が読んでみようと選んだ本なら、どんな本を読んでも、
豊かな時間を過ごすことができます。
答え探しのために、読書するのではないから。
未来の豊かな時間を創り出していくために、
これからもいろんな本との出会いがあるのだと思うとワクワクします!
相手の受け取ったことが、自分の伝えたこと
仕事が溜まっているけれど、明日は午後から席を外さないといけない仕事ばかり・・・。
よし!明日、朝早く出勤してがんばろう!
翌日、1時間早く出社して仕事を開始。
ほどなく、他部署の管理職Aさんが出勤して来ました。
「朝早くからご苦労さま。がんばってるね」
と声をかけてくれます。
と、ここまではいい感じ。
Aさんは私の向かい側の席に座り、あーだこーだと世間話を始めます。
どーでもいい話だけれど、聞かないわけにもいきません。
仕事が出来ずに、心の中ではイライラ。
悲しいかな、顔は笑顔。
早く出社したけれど、結局、まったく仕事がはかどりませんでした。
こんなことなら、1時間ゆっくり寝たかった~。
仕事するために早く来たことを伝えたのに、どーして私の前に居座るの?
仕事させて~! お願い~!
伝えたにもかかわらず、やりたいことができない状態。
こんな経験ありませんか?
当時は、コーチグのコの字も知らなかったので、
「Aさんのせいで、まったく仕事が進まなかった。デリカシーのない人」
と、ひとりで怒っていました。
この状況を、今ならどうするだろう?
仕事が溜まっているので、早く出社したことは伝えました。
しかし、Aさんは座って話し出しました。
と、いうことは、私がこの1時間で溜まっている仕事をしようとしている状況が
Aさんに伝わってない、伝え切れていない、ということです。
ここに、コミュニケーションのギャップが生じます。
おまけに、私は笑顔でAさんの話を聞いているのです。
聞いてくれているから、Aさんは話ができる状況と受け取ったのでしょう。
“相手の受け取った分が、私の伝えたこと”なのです。
このことを理解していると、状況を変えることができます。
本当に言いたいことを伝えることができます。
コミュニケーション・ギャップの解消へとつながります。
たとえば、
「9時までに仕上げたい仕事があるので、
お昼休みにでも話の続きを聞かせてもらっていいですか?」
とさわやかに伝え、仕事に集中することもできるでしょう。
そして、相手が受け取りやすいように伝えることも大切です。
毎日欠かすことのないコミュニケーションについて、
私たちは、わかっているようで、わかっていないことが多いのです。
しかし、コミュニケーションは、技術(スキル)ではなく、
その人自身の表れであり、心の姿、だと私は思っています。
心の格差社会
雨の中、図書館に本を返却に行きました。
入り口の傘立てに置いた私の傘が見当たりません。
なくなっていました。
図書館の職員さんが置き傘を貸してくれたので、雨に濡れることなく帰ることができました。
助かりました。
10年ほど前、コンビニでも傘がなくなったことがありました。
その時は、“なくなった”ではなく、“盗られた”と思いました。
そして、傘をとったヤツのことを想像して、めちゃくちゃ腹を立てました。
今回も誰かに盗られたのかもしれません。
しかし、現実に私の目の前で起こった事実は、“私の傘がなくなった”ということです。
現実を捉えて考えると、感情が高ぶることもありません。
誰かが私の傘を差して帰ったとしましょう。(間違って持ち帰った可能性もありますが)
私の傘は、大事に使ってくれるだろうか?
人の傘を勝手に持ち去る人に、あまり期待はできません。
そう思うと、傘に対しても、持ち去った人に対しても、悲しい気持ちになります。
傘の持ち主が困る。想像もつかないのでしょうか?
そう考えると、ほんと悲しくなります。
これはほんの一例で、心の貧しい人が確実に増えていると感じます。
難解な方程式を解ける明晰さより、人の心を察することができる心を持つこと。
私たちが一生を通して学び続けなければならない大切なことは、後者です。
以前の私は、自分が疲れていると、電車でお年寄りに座席を譲るのを躊躇する、
そんな人間でした。
今は、自然に席を譲ることができるようになりました。
ある日、駐輪場に止めていた自転車を出すのに四苦八苦していたら、
近くにいた大学生が手伝ってくれました。
ちょっとした心遣いが、私にはとてもうれしく心に響きました。
自分が相手の立場で行動するようになると、相手が自分のためにしてくれることを
受け止める心が生まれます。
精神の格差は、年齢でも、学歴でも、収入でも、測れません。
肉体的には大人なのに、精神的には子どものままだという人が増えたのは、
家庭でも学校でも社会でも 「与える機会を与えられなかった」 からである。
引用 : 『「受ける」より「与える」ほうが幸いである』 曽野綾子 著
誰かから何かをもらう、何かを与えられる、それが当然だ、というのが現代の風潮です。
与えることの大切さを、与えることの豊かさを ― 心の豊かさを、誰もが理解し、
実践する世の中を創っていくことが、現代を生きる私たちの使命のひとつなのではないかと思います。
むずかしく考えなくても、自分のまわりで、自分のできることから始めればよいだけです。
あなたの心が感じたことから始める、そうするだけでよいのでは?
きっと何かが動き出します。



